2025.03.07
正月発行の本紙直言欄を見た一読者から、「日本のアメリカ化」すなわち「日本の経済社会構造のアメリカ化の限界という視角で考えてほしい」との指摘を頂いた。
このような大それたテーマに、とても対応できる筆力はない。そこで視野を限定して、戦後、日本弱体化政策とされた財閥解体、農地改革、相続制度改革が及ぼした影響について一瞥する。
アメリカの占領政策としてまず実施されたのが、財閥解体と農地改革である。財閥とは要するに大きな財力を持ち、一族、同列で様々な分野の企業を独占してきた超巨大企業を指す。特に、三井、三菱、住友、安田が4大財閥とされていたが、これらの財閥は、明治から大正期の日本経済の発展に大いに貢献してきた。GHQ(連合国軍総司令部)は、戦前の財閥が、軍部のスポンサーとなったことで、戦争が助長されたと判断して、直ちに財閥を解体した。まず1945年11月に、三井、三菱、住友、安田など15財閥の資産の凍結と解体を命じ、翌46年4月には持株会社整理委員会を設置し、財閥家族や持ち株会社の保有する株を没収し、一般(市場)に売却し、これによって財閥会社を消滅させた。加えて、旧財閥に代わる新たな巨大企業が生まれることを防ぐために、翌47年4月に独占禁止法を制定した。
そのため、戦後約50年間という長きにわたり我が国の企業体は、巨大化、コンツェルン化の道を閉ざされた。その後1997年に、独禁法は我が国の経済力の発展に連動して改正され、純粋持ち株会社が解禁された(同法9条)。今日では事業会社による多数の持ち株会社だけでなくメガバンクを中心とする金融持ち株会社も設立されるようになった。
半世紀にもわたり禁止されてきた持ち株会社が解禁されたことで戦後日本経済は新たな段階を迎え、これを契機として企業法制も大きく改正されたのである。今日、М&A(合併・買収)や新たな企業結合方式が登場し、いわば 「持ち株会社の時代」を迎えている現象は、アメリカ化からの脱却が進みつつあるといえる。
次に農地改革であるが、戦前までは小作農たちが取れた作物の約50%を、地主に現物小作料として納める封建社会の仕組みがとられていた。GHQは、こうした農民層の窮乏が日本の対外侵略の大きな動機になったとして、地主制度の廃止に乗り出した。政府が地主の土地を強制的に買い上げ、小作農たちに安値で売り渡したのである。
不在地主に対しては、小作地全ての売り渡しを命じ、在村地主に対しては、1町歩(約1㌶)までの小作地の保有を認め、残る小作地は全て売り渡すよう命じた(北海道など規模が大きい地方は、別の対応を行った)。これによって小作地全体の約80%が解放され、地主制度はなくなり、多くの農家が自らの農地を得てコメなどの生産意欲を高めた。
しかし農地改革は「封建制度を解体し民主化を促進するため」といえば、聞こえは良かったが、一方で地主階級は土地を失い、農村の零細化が顕著となったのである。従来の経済力と社会的威信を失ったことから、農地改革は、日本弱体化政策の一環だったことになる。
この農地の零細化と軌を一にして、相続制度の大改正が行われた。戦前、我が国は「家制度」であった故、家族間の絆の強い美徳の国であった。それがアメリカ主導による相続制度の大改革により、家族社会から個人主義社会へと変遷し、数々の不都合が生まれたのである。
戦前の家督相続とは、戸籍上の「家」の長としての戸主が亡くなり、あるいは隠居した時に、後継者がその地位を受け継ぐことであるが、戸主は財産を握っていたから、その財産も家督相続によって引き継がれた。家督相続人には、普通長男がなり相続は、殆ど長男子の独占相続であった。このような独占相続は、戦後日本国憲法14条の個人の尊厳と男女平等という大原則に反するため、GHQは「家」制度を改めると同時に、家督相続制度を全廃した。
その結果、相続は、財産を引き継ぐだけとなった。配偶者は、常に相続人とされ、数人の子供は誰もが平等に相続人となった(均分相続制度、民法900条参照)。このような相続制度は、種々問題を露呈することになった。
例えば農家や商店の主人が亡くなってこの財産を、妻と子供AとBの3人で一緒に相続する場合に顕著となる。遺産の田畑が2㌶だとすると、妻に1㌶、子供に0.5㌶ずつに分散してしまい、これではとても満足な農業経営はできず、零細農家に転落する羽目となる。商店の場合であっても同様なことが生ずる。さらに遺産分割の話し合いがうまくいけばいいが、これがうまくいかないと兄弟間の断絶原因となる。
また家を守っている、例えば長男の両親が要介護状態になったときに、介護に最も貢献するのが長男の妻、すなわち嫁の場合でも、この長男の嫁に対して、全く相続権は認められないのであるから、介護を放棄または怠るということにもつながり、老親たちは、独居生活あるいは寂しく施設に送られるという事態にもなりかねない。
また、均分相続の結果、財産は散逸するのであるから、親の生家を守る、あるいは継承する子供もいなくなってしまう。結果として、昨今、我が国の社会問題となっている空き家、限界集落のオンパレード、あるいは商店街のシャッター通りという由々しき現実となる。
これらは総じて、均分相続制度の弊害と総括できる。とはいえ、時計の針を戻して家督制度を復活させるような論調は全く見当たらない。それどころか最近の世相は、個人主義の尊重、法の下の平等といった理念が重要視される故、この観点からすれば、「家のために個人が犠牲になるような家督尊重姿勢」は時代に逆行する主張となる。
他方で、核家族化を背景に昨今の「墓じまい」という風潮が広まりつつある。すなわち仏壇、仏具、お墓などの「祭祀財産」が、祭祀承継者(民法897条)に末永く引き継がれるという、我が国特有の醇風美俗が継承できなくなる事態だ。
祭祀承継を含めた「第三の相続制度」を模索するタイミングではなかろうか。今こそ、政治家、立法担当者の叡智に期待したい。
(山梨学院大学名誉教授 込山芳行)