《直言》日蓮宗百日大荒行の凄絶さ

2025.04.04

《直言》日蓮宗百日大荒行の凄絶さ

昨年の8月、数年前から開催している食事会(5組の夫婦の集まりで、いわゆる無尽)の席で、参加者の一人、中央市布施の赤木顗俊住職(妙泉寺)が、ボソッと、「11月から来年2月まで、この食事会を欠席させて下さい。日蓮宗大本山・中山法華経寺の荒行に行ってきますので」と話された。

筆者は、修学旅行に出発する高校生を送り出すような認識で、「気をつけて行ってきてください」などと通り一遍の挨拶を交わした。荒行の何たるかも解らず、型通りの挨拶をなしたことに対して、今でも、認識不足にも程があると後悔の念に堪えない。

住職が去る2月10日に見事100日の修行を終えられて帰山されたので、去る3月1日に、甲府市内の割烹料理店にメンバー全員が集まり「ご苦労様会」を開催した。その際に住職からお聞きした体験談が、余りにも凄絶過ぎ、言葉にもできないほどの過酷さであったことを知り、上述の後悔ということになったのである。この凄絶体験記を本欄に投稿し、読者の皆さんにも、大荒行の一端に接していただきたいと思い活字とさせていただく。

先ず、荒行についての予備知識である。宗教の世界には様々な修行が存在し、そのような厳しい修行の中でも、特に過酷さを極めるものが「荒行」と称される。荒行と称される中でも特筆すべき「世界三大荒行」は、①日蓮宗の百日大荒行②天台宗の千日回峰行③インドのヨーガに学ぶ厳しい修行(インターネット情報から)―である。三つとも詳細に解説する紙幅は無い。

従って、住職がこの度体験された、①の「日蓮宗の百日大荒行」について、実体験を素材として記述する。具体的にその内容は、常人では耐えられないものであるが、この日本独特の荒行が、世界中から注目されている。本稿を読んでいただくことで、想像を超える荒行の世界を垣間見ることができる。


睡眠時間は2~3時間

日蓮宗の百日大荒行は、仏教の一派である日蓮宗の僧侶が「国家安穏・万民快楽」を祈り、さらには自らの仏道修行のため、千葉県市川市にある法華経寺の大荒行堂で行う100日間に及ぶ厳しい修行である。今年度は、全国から集まった修行僧119名(有資格者)の参加で行われた。本荒行は、23歳から参加が認められ、前半は5年間隔、その後随意に最大10回までの参加が可能とされている(全てクリアすると1000日大荒行修行者となる)。

期間は、毎年11月1日から翌年2月10日(成満)までの100日間。この100日間、零時頃床に入り同2時半頃起床し、睡眠時間は2乃至3時間、衣装は麻の法衣(白装束)、食事は朝5時半と夕方5時半の2回(その中身は梅干し入りのお粥1杯とみそ汁のみ)、寒中であるにもかかわらず100日間を通じて素足生活、1日7回の水行、そしてそれ以外の時間はただひたすらお堂の中で読経(世界が平和でなければ個人の幸せは無い、を祈りつつ)を延々と続けるのである。

特に、自らの罪障を消滅させるため寒水で身を清める「水行」は、午前3時、6時、9時、正午、午後3時、6時、11時、の7回行う。ただでさえ寒い時期に褌姿で寒水を浴びることで、皮膚は裂け、血が滲み出てくる修行僧も現れる。

さらに過酷なのは、一旦僧侶たちが、大荒行堂に入ると、修行が終わるまで外へ出ることはできず、又最初の35日間は、面会謝絶となり外部との接触もできない。

わずか1カ月程度の「自行」の間に僧侶達は誰もが、髪や髭が伸び、頬は痩せこけ、目ばかりが光る青白い顔色に変わっていく。35日間の「自行」が明けると家族、檀信徒との面会が許される。ちなみにこの大荒行に参加する僧侶は、髭剃り用のカミソリを持ち込むことを禁止されている。その理由は、表向きは「髭を剃る暇すらない」とされているが、一説には「荒行に堪えかねての自殺を防止するため」ともいわれている。


帰山式の水行で水をかぶる赤木顗俊住職(2月23 日・妙泉寺)


県第4部では27年ぶり

初めての参加は、初行で、2度目は再行、3度目は参行、4度目は再々行、5度目は五行(500日)と称し、ここで免許皆伝となる。それ以降は、参籠といい、参籠1回で、都合600日となり、参籠を5回重ねると1000日修行の達成となる。このように命を懸けた修行が、現世に毎年行われているという事実に、改めて驚嘆というほかはない。この大荒行を耐え抜いた者だけが、修法師として秘法の木剣加持を許されるとのことだ。

赤木住職は、第1回目の参加が23歳の独身時代で、今回の参加で4回目を成就したのである。4回の成就は、日蓮宗山梨県第4部宗務所内の寺院内からは実に27年ぶりのこと。さらに5年後に5回目に挑戦するとのことだ。先ほどの「ご苦労様会」の席を通じて再認識したのであるが、この荒行に堪えた本人の素晴らしさ、偉大さ、凄さは、改めて述べるまでもない。そこで筆者が、住職を荒行に送り出した家族の度胸に感嘆しますと述べたところ、赤木住職夫人はあっけらかんとして、「きっと、頑張ってくれると思っていました」と。この夫婦の信頼関係があればこその今回の大偉業だと、いたく感心した。

昨今は、少子化の影響かも知れないが、構造不況の中にあるとはいえ、豊穣の時代に育った若者世代に対する不平不満が随所から聞こえてくる。加えて協調性の欠如など、戦後生まれの団塊世代から見ると、誇張して言うならば、これからの日本はどうなってしまうのかなどと憂慮に堪えない。翻って、この度の赤木住職の生き様に接して、右の認識は180度の転換を余儀なくされた。

僧侶の修行というある種、別世界の話であるかもしれないが、同じ人間であることは間違いない。自ら進んで、このような大荒行に身を投ずる気力、精神力を有する日本人魂に対しては、驚嘆以外の言葉は無い。この大荒行に堪え忍ぶ日本人が存在する限り、先ほどの憂慮は杞憂であったと言わねばなるまい。


(山梨学院大学名誉教授 込山芳行)

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