2025.01.10
明けましておめでとうございます。今年度も、本欄を月1回のペースで担当しますのでお付き合い頂ければ幸いです。新年にあたり、どのようなテーマを取り上げるべきか逡巡した結果、本年2025年8月15日が、大戦後80周年の節目であり、この歴史に思いを馳せてみるのも一興かと思い本テーマとした。
戦後から今日まで、我が国は劇的な変遷を辿ったといっても過言ではない。紆余曲折、栄枯盛衰などの四字熟語が違和感なく当て嵌まる経緯を経て、我が国は推移してきた。以下に述べる有為転変の歴史は、昭和世代にとっては周知のことであろうが、平成以降生誕の若者世代にとっては、日本国は、なんでこんなに元気がないのか訝しがっているはずである。戦後80年を一瞥しつつ、我が国経済の驚異的隆盛、その後の低迷ぶりの一端を垣間見る。
戦争終結の1945年直後の日本は、アメリカの空襲によりインフラ破壊、莫大な死傷者と、見るも哀れな焦土と化してしまい、昭和初期時代、東アジア一の先進国と言われた面影は全く無くなったのである。都会では、人々は住む家を失い、バラック建築で建てられた臨時的な住宅に住み、生きるか死ぬかの生活を送っていた。戦禍を免れた、いわゆる地方、田舎の生活は別物であったようであるが。
そんな中、都会では闇市という、非合法で独自の市場経済原理が醸成されていった。闇市に行けば、お金に物を言わせて何でも買えたのである。しかし、一般の国民は闇市で物を買うほどのお金がなく、生活苦の人々が殆どであった。貧困国は、共産主義に流れる傾向がありこの頃の日本も例外ではなかった。しかし日本を占領統治していたアメリカは、共産主義を敵視しており、日本が共産主義に傾かないように必死だった。このタイミングで朝鮮戦争が勃発し、アメリカは韓国を支援するため、我が国に軍事物資などを製造させたのである。皮肉にも我が日本国は、朝鮮戦争特需により、戦後復興への道筋ができあがり、結果として、ほぼ戦前と同じレベルまで復興が進み「もはや戦後ではない」と言う名言が生まれるまでになった。
1964年に日本の復興を象徴するイベント、東京オリンピックが開催され、これと軌を一にして、新幹線や高速道路の整備に着手したので、東京周辺は建設ラッシュに沸いた。新三種の神器、カラーテレビ・クーラー・車の「3C」が国民の憧れとなったのもこの頃である。さらに1970年には大阪万博が開催された。昭和も終わりを告げる頃には、高度経済成長期に入り、経済が飛躍的に発展し、戦後35年を迎える1980年には、終戦後の面影は皆無となり、日本のGDP(国内総生産)は先進諸国中2位となった。
加えて、究極ともいうべき政治的な動きがあった。それはプラザ合意である。1985年に、我が国の円高を推進させた国際会議を契機に、バブル景気が到来したのである。1987年から1991年までの日本は、常識では考えられない好景気が訪れた。一例を掲げると、就活は就職希望者が企業に面接に行くのではなく、企業側が就職希望者たちを接待し、囲い込みをしていたのである。中には、海外旅行に連れていき、他の企業に先取りされないようにしていた大企業もあった。その結果、給料は倍々ゲームでアップして、一般庶民も高級ブランドなどを買いあさり、更にハワイやヨーロッパ旅行などをする風潮が一気に増幅し、国全体が浮かれまくった。
しかしこのバブル景気も、1991年に崩壊し、日本経済はアッという間に平成不況と呼ばれる長い経済低迷トンネルに入り込んだのである。バブル経済崩壊以降の三十数年間、未だに我が国経済は低迷期に入り抜け出せていない。
このバブル崩壊については、諸説ある。通説的な理解は、バブル崩壊後の1990年代における不良債権に対する処理の遅れが、2000年代に入るや否や、生産性の伸び悩みやデフレ現象につながり、そのため、当時の日本経済は生産性向上を維持達成できなかった。通常、生産性向上は企業の設備投資や技術革新によって達成されるのであるが、企業はバブル期の遺産として三つの過剰(債務、雇用、設備)を抱えていたため、設備投資も減価償却内の投資に終始したのである。
その後、企業のバランスシートが大幅に改善したにもかかわらず、積極的な設備投資を控え、逆に崩壊後の金融が逼迫した企業は、膨大な額の内部留保を積み上げていった。そのうえ、名目賃金の下落、途上国との価格引き下げ競争が日本経済のデフレに拍車を掛けたのである。
もう一点、我が日本国低迷の原因は、バブル崩壊時に始まり、2010年頃まで続いた「ゆとり教育」が原因と言えまいか。授業時間を減らしたゆとり教育の結果、全国の児童全体の学力が急激に下がったのである。併せて平等意識が強まり、全員1位の徒競争や全員主役の学芸会など、競争を避ける傾向が強くなった。バブル崩壊後、構造不況の真っただ中とはいえ、生まれた時から恵まれすぎた環境に慣れ親しみ、加えてゆとり教育時代を過ごしたツケが、将来的に国を背負って立たねばならない若者世代に対し、競争回避という意識の醸成に繋がってしまったのである。
すなわち戦後焦土と化した劣悪な環境から、見事に這い上がった日本人魂(気力と根性)が、21世紀に入ったころからどこかに消え去ってしまったのである。世界一有能で勤勉であったはずの日本人はどこに行ってしまったのか。この「ゆとり教育」が、昨今の我が国の低迷の起因となったとするのは言い過ぎであろうか。
当然、パワハラ、セクハラを無くすのは社会の務めだが、極端に委縮してコミュニケーションが取れていない職場環境はどうか。逆に後輩や新入社員の態度を気にしすぎている上司、先輩。あるいはスポーツ界においても、監督、コーチが選手に対し、必要以上に言葉を選びながらの指導ゆえ、相互の意思疎通ができにくくなっているケースも耳にする。さらに言えば、モンスターペアレントの圧力に怯え、物も言えない教員、教育委員会もあるようだ。
萎縮、奔放にも程度がある。こうした日本社会では、世界をリードするような気合の入った大きな仕事ができる人材が育ちにくい、というのが筆者の考えである。エコノミックアニマルが世界中を席捲した日本経済はますます失速するのではないか、と憂慮に堪えない。今こそ、社会全体が目を覚まさなければならない。
(山梨学院大学名誉教授 込山芳行)