《直言》箱根駅伝の魔物 ~ 襷がつなぐ百年、アスリート学生へ感謝を込めて

2026.01.16

《直言》箱根駅伝の魔物 ~ 襷がつなぐ百年、アスリート学生へ感謝を込めて

新年が明け、1月2日の朝、東京・大手町の空気は凛と澄み、号砲の一瞬だけ、街の時間が止まった。スタートラインに並ぶのは、二十歳前後の大学生たちである。しかしその背中に背負うものは年齢には似合わないほど大きい。大学の名、仲間との一年、支えてくれた家族や指導者、そして自分自身が積み重ねてきた努力。沿道の人波が見つめるのは、単なるタイムではなく、襷が渡る瞬間に出来上がる、言葉にはなりきらない物語である。

箱根駅伝には、毎年のように「魔物」という言葉がつきまとう。それは実在する何かではない。練習データも、区間配置も、戦略も全て研究し、分析し尽くした中で、なぜか脚が止まることもあれば、逆に、なぜか走れてしまうこともある。ほんの数十秒の誤差が、次の区間、次の判断、次の心へと連鎖し、順位表の景色を塗り替えてしまう。その説明しきれない揺らぎを、人は畏れと敬意を込めて「魔物」と呼ぶのである。

特にその象徴と言われるのは往路5区の山上りと、復路6区の山下りである。平地のスピードがそこでは正解にならない。上りは心拍を押し上げ、呼吸と脚力を同時に奪う。下りは重力が味方に見えて、実際にはブレーキ動作が筋肉を削り、終盤にその〝つけ〟が回る。さらに箱根は風向きや気温が変わりやすく、日陰と日向の体感差も大きい。こうした条件がランナーのペース感覚を簡単に狂わせる。勝負を分けるのは、脚力だけでなく自分の状態を読み切る力と精神力である。


往路5区を走った山梨学院大の弓削征慶主将(同大提供)


駅伝特有の心理も、魔物の正体に近い。ここで走りを崩したら、仲間の努力を裏切るというその思いは、選手を奮い立たせる一方で、力みや焦りを生むプレッシャーにもなり得る。上りで少し突っ込み過ぎる、給水がわずかに遅れる、補給のタイミングがずれる。小さな〝少し〟が積み重なったとき、箱根は容赦なく流れを変える。だが同時に、苦しい状況で渡された襷が心を整え、想像以上の追い上げを呼び込むこともある。箱根の魔物とは弱さの別名ではなく、人間が持つ揺れ幅そのものではないだろうか。

その揺れ幅を抱きしめるように、箱根駅伝は百年を超える歴史をつないできた。箱根駅伝の公式サイトが伝えるところでは、箱根駅伝が誕生したのは1920(大正9)年。創設の原動力は、世界に通用するランナーを育てたいという思いだ。中心人物の一人で「マラソンの父」と呼ばれる金栗四三氏は、1912(明治45)年のストックホルム五輪マラソンに出場し途中棄権を経験。その悔しさを育成の仕組みへと転化させたのである。

また箱根駅伝には〝原型〟が存在する。1917(大正6)年に実施された、京都・三条大橋から東京・上野不忍池付近までを走り継いだ東海道駅伝徒歩競走である。3日間にわたり、京都から東京を長距離・多区間で結ぶ壮大なリレーは大きな成功を収め、箱根駅伝へとつながっていく。そして1920年の第1回大会。箱根駅伝公式サイトの記録では、当時の出場は東京高等師範学校(現・筑波大学)など4校で競われたことが確認できる。

襷をつなぐという様式が、単なる競技の形式を超え、人の思いを渡す象徴として社会に根づいていったのは、その歴史が何度も重なり合った結果である。

「駅伝」という言葉にも、日本ならではの背景がある。英語圏国でも 「Ekiden」 は日本発祥の長距離リレーとして説明され、もともとの語が駅(宿駅)から駅へと情報を伝える仕組みに由来すること、襷の受け渡しという規則がその語源のイメージと重なることが紹介されている。

よく「駅伝は海外では行われていないのか?」という質問を受けるが、答えは、日本ほど一般的ではないが、全く無いわけでもない。世界の陸上競技の主流は個人のロードレースやトラック種目で、箱根のように大学チームが襷で長距離をつなぎ、国民的行事の熱量で見守られる形は、やはり日本で独自に発達した文化といえる。一方、ハワイでは市民参加型のホノルル・レインボー駅伝(EKIDEN)が行われており、仲間や家族で走るイベントとして駅伝形式が根づこうとしている。

それでも、箱根駅伝がここまで人の心を動かす理由は、記録の先にアスリート学生の生活が見えるからである。彼らは走者である前に学生であり、授業や試験、研究、就職活動と向き合いながら、早朝や夜の練習を重ねている。故障の不安、結果が出ない苦しさ、仲間との競争、周囲の期待など、華やかな中継の外側で、黙々と積み上げた日々がそこにはある。箱根路に立つ資格は、才能だけでは手に入らない。続ける力、折れない工夫、支えへの感謝、そうした人としての耐久力が試される。

そして、襷は一人ではつなぐ事ができない。指導者やスタッフ、トレーナー、マネジャー、寮や食堂など、環境における支え、応援する同級生、卒業生、地域の人々など、多くの支援が見えないところで働き、選手はその上でようやく走ることができる。だからこそ箱根駅伝の「魔物」は、勝敗の残酷さだけでなく、支え合いの尊さも同時に照らす。苦しい表情のまま襷を渡す姿に胸が締めつけられるのは、その一瞬に、そのアスリート学生の努力だけでなく、先に記した全てが凝縮されていると感じるからだ。

新春の2日間、私たちは毎年、同じ道を眺めながら、毎年違う物語に感動し、涙する。山があり、風があり、そして人がいる。箱根駅伝は、実力だけでは割り切れない世界を映し出す。だからこそ、走ったアスリート学生たちと全ての関係者へ伝えたい。勝っても負けても、襷を胸に刻み、走り切ってくれたその姿は、大学スポーツの価値を、そして努力が持つ静かな力を、今年も確実に伝えてくれた。ありがとう。


(山梨学院大学副学長(スポーツ振興担当)・カレッジスポーツセンター長・教授 幸野邦男)

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