2025.11.20
2021年7月1日の「名前・肖像・評判(NIL)」制度解禁からわずか数年で、アメリカの大学スポーツは新しい経済に飲み込まれた。今やNILはサイドビジネスではない。大学からの収益分配と、外部スポンサーとの契約が並走し、キャンパスの内側に〝もう一つの市場〟ができあがっている。
今年に入って学校側から学生への奨学金とは別に直接的支払いが認められる方向が固まり、初年度は1校あたり約2000万ドル(約31億円)規模という上限がCollege Sports Commission(大学スポーツ委員会)にて示された。現場は一斉に「給与台帳」に近い運用を求められ、これまでのアマチュアとプロの線引きは急速に曖昧になっている。
10月末から11月初めにかけて、私はアメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)、インディアナ大学、そしてフロリダ大学とNCAA(全米大学体育協会)本部(インディアナポリス)を訪ね、管理部門、コーチ、アスリート学生から話を聞いた。そこで見えたのは、編成と予算が一体化する新しい現実であった。
選手獲得は戦術だけでなく、収益分配の設計や、いわゆる「コレクティブ」と呼ばれる卒業生や支援者で構築されている組織の動きに左右される。各州法や訴訟判断の違いから規制の網目は粗く、大学のコンプライアンス担当は、税務・契約・表示義務の説明から、第三者との契約が妥当な価格かをチェックする外部審査への対応まで、日常業務が一変したと語る。
フロリダ大学では、アメリカンフットボール部において、元勧誘選手の巨額契約が頓挫して訴訟に発展した事案が記憶に新しく、口頭で約束したものと契約書の中身が一致しないと、大学・支援者・選手のいずれにも傷が残るという教訓が共有されていた。
オンライン上でも、同じ構図が浮かぶ。アスリート学生は「授業・練習・試合」に、スポンサー投稿やイベント出演、コンテンツ制作の〝納期〟が積み重なり、スケジュールのコントロールが最初の壁になる。可視性が高い競技やポジションに報酬が偏るため、ロッカールームの空気をどう整えるかは指導者の新しい仕事とも言える。
税務の落とし穴も深い。多くのNIL収入は個人事業所得として扱われ、領収書の保存、四半期ごとの概算納付、確定申告など、すべてを自分で回さなければならない。広告表示はインフルエンサーと同じルールが適用され、「広告である」とわかる表記を怠ると、後から指摘を受ける。留学生にはビザの制限という別のハードルがある。米国内でできる活動は限られ、安易に契約すると在留資格を損なうリスクがあるため、各大学は専門家の助言を前提に慎重な運用を促している。
一方で、NILは確かな追い風でもある。実績や発信力を持つ選手に正当な対価が生まれ、起業やマーケティングの実地訓練になる。とりわけ女子競技では、体操やバスケットボール、バレーボールなど、デジタルで熱量の高いファン層を持つ種目で可視性が跳ね上がった。キャンパスの外に出なくても、地元企業とのタイアップ、教室での講演、地域の子ども向けクリニックなど、多様な形で「自分の名」で価値を生み出せるのは、かつてなかった選択肢である。
しかし問題は、その制度がまだ固まりきっていないことである。どこまでが勧誘の一部で、どこからが正規の契約なのか。大学がどの程度まで関与できるのか。各州法とNCAAのガイドラインの継ぎ目はギクシャクしており、法廷の判断が変われば運用も変わる。労働法の観点から「アスリート学生は従業員か」という問いも現実味を帯び、性別による不利益を禁じるTitle IX(1972年教育改正法第9編)の観点から、大学からの支払い配分は今後も厳しくチェックされるであろう。私が本部で聞いた言葉を借りれば、「安定しつつあるが、まだまだ着地していない」。
卒業後の課題も見逃せない。投稿やイベントの履行義務がシーズンを越えて残ることは珍しくなく、未消化の契約や、申告漏れ・納付漏れは社会人生活の出だしをつまずかせる。大学の商標やロゴは卒業後に自由に使えないため、プロに進む選手は新しいスポンサー契約との〝整合〟を、一般就職する選手は大学ブランドに頼らない自己像の再構築を迫られる。オンラインで見かける体験談の多くは、ここで初めて「自分の事業だった」現実に気づき、弁護士や税理士、メンタルケアの支援網の重要性を痛感したというものも少なくはない。
それでも、私が今回のヒアリングで感じたのは、大学が腹をくくり、NILを「学生支援の中核」に組み込めば、機会とリスクのバランスはとれるという手応えである。具体的には①税務・契約・表示に関する体系的なリテラシー教育②留学生向けの移民法アドバイス③メンタルヘルスと時間管理の支援④チーム内の公平性に配慮したガバナンス、そして⑤女子競技を含む等価な機会設計を学内の標準として定着させること—と考える。
NILは問題か? 答えは「YES」。だが同時に、学生に自分の名前で生きる力を教える絶好の教材でもある。大学がその両面を直視し、現実的な仕組みを整えるなら、この新しいビジネスモデルは、教育と競技の質を底上げする〝味方〟にもなり得ると信じる。
(山梨学院大学副学長(スポーツ振興担当)・カレッジスポーツセンター長・教授 幸野邦男)