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古府しのばれる巨石の泉

石水
韮崎市
余白 余白 韮崎市穴山町の「石水発祥の池」。手前のマンホールが井戸のある場所。左奥がポンプ
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「山梨新報」2017年7月28日掲載

 武田勝頼が築城した新府城(韮崎市中田町)北側に穴山町の小字「石水(いしみず)」地区がある。集落には「石水発祥の池」があり、巨岩の間から清水が湧き出たという地名の由来を記した案内板も立つ。地名の由来に関係する勝頼の逸話もある。
 積翠寺(現甲府市上積翠寺町)は信玄の産湯をくんだとされる井戸があることで知られる。江戸時代後期の地誌「甲斐国志」では同寺は当初、本堂西の「巨石から泉が湧き出た」ことから石水(せきすい)寺だったが、中世の頃に今使われている「積翠」に変わったとされている。
 韮崎市教委刊「韮崎市の民話伝説」によると、勝頼が新府城築城の際、巨石の間から水が湧き出たため、「これは遷府の吉兆だ」と湧水を「石水」と名付けたとある。
この湧水は1年を通して水量と水温に変化はなく、住民の飲用水となり以来、集落は石水と呼ばれるようになったとされる。
 巨石からの湧出場所は、甲府では武田3代にわたり領国経営の拠点となった躑躅ケ崎館の北側、韮崎でも新府城の北側だった。積翠寺の井村一昭住職(82)は「寺名や歴史について先代も熱心に調べていたが、いつの頃から石水が積翠に変わったかは定かではない。〝石水〟が韮崎市とゆかりがあったことは初耳」と話す。また元石水区長の守屋喜治さん(68)も「地名の由来に勝頼が関わっていたことは聞いたことがなかった」と驚いていた。
 現在、石水集落には「石水発祥の池」と呼ばれる水くみ場がある。守屋さんによると、現在はポンプを設置し水をくみ上げているが、幼少の頃はポンプ手前にあるマンホールの場所に井戸があり、飲用水や生活用水として使われていたという。
 地区には子どもに読み書きを教えていたという藤原秀成が書いた江戸末期の1860(万延元)年の古文書「石水の記」が残り、当時の井戸の様子や良質の水であることが記されている。


石水農業集会所に飾られている藤原秀成書「石水の記」の写し


 2000年の水質検査で「適合」の判定を受け、一般に開放された。水温は14度、毎分14㍑湧出しているという。08年からは年1回、住民有志が井戸の清掃活動も行っている。
 守屋さんは「他の井戸が白く濁ったり、水不足で枯れることがあっても、この井戸だけは清らかで、絶えることがなかった。口コミで県内外から水をくみにくる人もいる。みんなに知ってもらえるのはうれしい」と話していた。

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石水発祥の地
地図
(Googleマップ)




1-蟹沢池

2-亀沢

3-お姫坂

4-蟹追橋

5-笛吹川

6-石動

7-団子新居

8-姥塚

9-印沢

10-金井

11-橋立

12-萩原

13-柄杓流川

武田氏編
1-夢見山

2-堀切

3-漆戸

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