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タイトル「山梨の地名と民話」 石から生まれた萩の木と観音堂
萩原
萩原
甲州市塩山
裂け石
余白 余白 地元では「おわれ石」と呼ばれる裂石
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「山梨新報」2017年6月23日掲載

 武田家ゆかりの日本最古の日の丸の旗や、孫子の旗(風林火山の旗)など所蔵していることで有名な雲峰寺は甲州市塩山上萩原にある。奈良時代の僧行基が萩の木から作った菩薩像を安置したとされる同寺の開創にまつわる伝承は、地名の萩原の由来に深い関わりがあるという。
 伝承によると745(天平17)年6月17日夜、行基が甲斐国を訪れた際、雲が立ちこめ激しい光と共に十一面観音菩薩が現れ、15mほどの大岩がおので割ったように裂けてその間から萩の大木が生じた。行基は萩の木を伐採して運び、3体の十一面観音菩薩を彫った。そのうちの1体を安置して建てた庵が雲峰寺で、他の2体は根古橋の観音堂と、長昌院に安置した。このため一帯を「萩原郷」と呼び、像が安置されたそれぞれの地域が上・中・下萩原の起源になったという。雲峰寺の菩薩像は本尊としてまつられ、長昌院の菩薩像は恵林寺に、根古橋観音堂は廃堂になったまま行方不明という。(塩山市教育委員会「塩山市の伝説・民話」)
 雲峰寺によると、毎年8月1日の午前中に本尊のご開帳があるが、戦国時代の大火で寺は一度焼失しているため、本尊も当時のものではないとしている。また、恵林寺の信玄公宝物館の小野正文館長(67)は「十一面観音像は長昌院から伝わってはいない」という。
 このほか、萩原の地名の由来をめぐっては「塩山市史」に大昔に空が突然曇り、巨石が現れ、石が割れるとその間から萩の木が一晩のうちに大きく育って花が咲き、花が順に3カ所に散ったため、それぞれ上・中・下萩原と称したとしている。
 この「裂石」と呼ばれる巨石は雲峰寺から約2km西の上小田原地区にある。江戸時代の青梅往還の関所跡「萩原口留番所跡」付近で、一つの巨石が二つに割れた状態になっている。市によると、花こう岩でいずれも高さ4.5m、幅は8mと2.5m。
 塩山郷土研究会神金支部会員の手塚勲さん(66)によると、地元では昔から裂石ではなく「おわれ(お割れ)石」と呼び、集落の道祖神場でもあるという。正月には集落の住民が一堂に会して手を合わせ、新年のあいさつを交わしたり、小正月にはどんど焼きが行われる。手塚さんは「昔は旅人の安全を祈る場であり、現在は集落の繁栄を願う場になっている」と話している。

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裂石
(Googleマップ)



1-蟹沢池

2-亀沢

3-お姫坂

4-蟹追橋

5-笛吹川

6-石動

7-団子新居

8-姥塚

9-印沢

10-金井

11-橋立

13-柄杓流川

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