2009年7月3日付
地域資源

地場産業を再評価する

研磨・微細加工技術の再興を
地域の独自性と伝統技術の強み


 山梨県の研磨工業の起源がいつ、どこにあったのかは、あまり古すぎて定かでない。一説には、金峰山で産した水晶を室町時代の初め京都に運んで数珠に加工したのが始まりで、これを盛んにしたのは甲斐国ゆかりの人、後に国師と尊崇された夢窓疎石(むそうそせき)であったと言われている。珠数の需要が増すにつれて、やがて現地生産となったのが甲府の研磨技術の起源であったと、昔、学校で教えられたのを覚えている。
 この研磨技術は、明治に入って国民皆姓による印鑑の需要が発生すると、篆刻(てんこく)技術とあいまって大いに発展し、甲府は一大印判研磨産業の町に成長した。しかし、水晶の脆(ぜい)性(せい)という性質は、落とすと印面が欠けてしまうので判子(はんこ)には不向きであって、戦争と共に急激に衰微していった。
 しかし、第二次世界大戦が終わり、高度経済成長期に入ると、研磨技術は宝飾産業と、エレクトロニクスの心臓部を形成する水晶振動子やフェライト(磁性材料)など硬度の高い脆性無機材料の加工技術へと転化され、見事に再生した。現在、県内産業の中核的指導機関である県工業技術センターは、山梨大学工学部構内で誕生した県研磨工業指導所を前身としているが、戦後の研磨工業の復興は、同指導所を中核とする産学官の見事な連携の一例であったのである。
 上述のように、水晶は高硬度ゆえの加工し難さの上に、落とすと欠けてしまう脆(もろ)い性質の代表的物質である。それでいてこれをどんどん薄く加工してミクロン(100万分の1メートル)オーダーの厚さにまで研磨していくと、今度は曲げても折っても破断しにくい強靭(きょうじん)さに変質してしまうという奇妙な性質がある。こういう特性の材料を抗脆性素材というのだが、わが国の抗脆性材料加工の第一人者が谷口紀男先生だった。先生は、山梨大学教授・工学部長として、上述の県研磨工業指導所の創立に尽力し、その指導に力を尽くした人だった。
 谷口先生は、超音波や放電加工など精密加工技術の研究者だったが、精密加工技術の進歩を予測して、西暦2000年には人類はナノメートル(10億分の1メートル)までの微細加工を手に入れるであろうと予言して、これを「ナノテクノロジー」と名付けた。1974年、ロンドンで開かれた国際会議の席上だったという。
 このナノテクノロジーという技術用語は、その後アメリカにわたり、クリントン政権時代になって、ゴア副大統領によってアメリカが目指す戦略技術に組み入れられたことで日本に逆輸入され、現在わが国でも戦略技術の一つとしてこれが採択されている。
 かくのごとく世界的イノベーションを生み出した研磨・微細加工技術と山梨県の歴史的因縁は実に深いのだが、残念ながら現状を見ると寒心に堪えない。バブル経済崩壊後、宝飾産業の不振と共に、ものづくりとしての研磨技術も衰微し、いまや技術の後継者確保すら危ぶまれている。これは、地域オリジナルの研磨技術によって育った宝飾産業が、タイやマレーシアなどインドシナ半島に出て行って、国籍不明の「国際商品」に堕してしまったつけではないだろうか。
 ところで、昨秋の世界同時不況によって機械電子工業を中心とする県内企業は軒並み減産に追い込まれ、空前絶後の苦境に見舞われている。経済のグローバル化の中にあって、世界大の市場に製品を供給している産業は、不況時にあっては世界経済の荒波の中で身を処さなければならない。
 これに対して、地場産業はその独自性のために、グローバルな事件の副次的な影響はあるものの、それに直接的に翻弄(ほんろう)されるわけではない。地場産業が地理的、歴史的つながりによって成り立っている強みなのである。こう見てくると、山梨の研磨技術は後世に守り伝えていくべき豊かな地域資源であるということができる。
 幸い、この業界の中でもそのことに気付いている人たちがいる。自らが手にした匠(たくみ)の技を後世につないでいきたいという人たちだ。筆者が知っている例では、「非営利特定法人山梨水晶会議」を立ち上げた宮川守さん夫妻やその関係者などがその一例である。
 地域アイデンティティーを持つ産業と伝統的なものづくり技術が合体したときの強み、ハイテクやグローバリズムだけが誇大に喧伝(けんでん)される時代であるだけに、これをしっかり再評価しておきたい。



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