5月2日付
完全デジタル化

時代の「記憶」を保存する

コンテンツセンター構築を
文化的退廃 招かぬために


 個人といわず集団といわず、過去に生きた全(すべ)ての人々の「記憶」の総体が「文化」である。その記憶媒体としては、アレキサンドリア図書館以降、文字による「書物」という形で、またラスコーの洞窟壁画以来、「絵画」や「彫刻」という形で、また音楽は譜面の発明が遅れたために中世まで待たなければならないが、それ以前には「伝承」という形で、文化は伝えられてきたのである。
 その現代的な記憶の保管場所として、今、県立図書館問題がここ山梨県では喫緊の話題となっているが、ぜひ「文化の保管場所」として相応(ふさわ)しい設備と機能とを確立して欲しい。しかし、今日の話題はこれに大いに関係はあるものの、それではない。
 すでに渦中にあるので、かえって今、事態がどうなっているのか分からないほどだが、日本は西暦2010年度をもってすべての情報通信手段がデジタル化される。また、11年7月24日をもってテレビが完全デジタル化されるので、私たちの生活の情報伝達と記録の手段にデジタル化の巨大な影が忍び寄っている。つまり、否応(いやおう)無しに私たちの書くもの、話すもの、伝えるものが総体デジタル化されていくことになる。
 写真はデジタルカメラで撮影され、手紙はインターネットメールの形でパソコンのメールボックスに蓄えられ、動画映像はデジタルハイビジョンで各種ディスクに保存される。しかし、これらを保存しておいたパソコンは持ち主の死後はアカウント(IDなど)が知られていない廉(かど)で開封できないまま廃棄されていくことだろう。
 主として地域の社会的記憶をとどめているマスメディアの内容物も同様で、たとえば放送局の放送の記録もこれを残しておくには多額のコストが必要となろう。まして、その企業がいつまで存続しているか疑わしい。
 いやしくも文化の継承としての「記憶」を辿(たど)るためには数千年は記録を保存しなくてはならないが、先進的技術に依拠しているデジタル記憶の永久保存の方法など誰も知らないのである。にも拘(かかわ)らず私たちはいま完全デジタル時代に突入しようとしているのだ。
 山梨県立博物館には「甲州文庫」と呼ばれる貴重な歴史資料が保存されている。これは豊村(現南アルプス市)出身で生糸商人として財を成した立志伝中の人物功刀亀内翁が、三十有余年を費やして集めた二万余点に及ぶ、手に入る限りのありとあらゆる「記録」を収集したものである。その資料のいちいちは、その当時にあってはほとんど無価値の反古(ほご)と言ってもそれほど間違っていないという代物ばかりである。これが実に貴重であるのは、ただひたすら旧(ふる)いからである。この旧さこそが私たちの故事来歴を教え、アイデンティティ(独自性)を補完してくれる「文化財」にほかならない。
 しかし、いま完全デジタル化時代。亀内翁といえども人々の書きなぐったデジタル「反古」を蒐集(しゅうしゅう)するのは不可能である。その理由は、1. 個人のパソコンが開けられないだけではない、2. おそらく時代を経るにしたがって過去のデータを読むソフトウエアが「改良」され「進歩」してしまっていて読めなくなっているであろうこと、3. デジタル記号といえども記憶装置の中で転写が起こっていて事実上破壊しているであろうこと、などである。
 情報社会とは、大量の情報を保有する時代だと言いながら、実はそれを維持していく仕組みをいまだ持たない実に頼りない時代なのである。もし、大量に保存されたデジタルデータが失われるのであれば、個人も家族も社会も世界も、致命的な記憶喪失と文化的退廃を招く危険を孕(はら)んでいるのである。
 NHKは、埼玉県川口市にNHKアーカイブスを構築した。これは先進的だが、NHKが解散したときには誰があのお宝記憶を受け継いでいくのであろうかと、思えば薄ら寒さを感ずる。そういう事態を避けるためには、公共的な仕組みとしてデジタルコンテンツ(デジタル化された情報の集合体)の保存についての組織と仕組みを構築しなくてはいけない。幸いデジタルデータは圧縮技術によって物量を減らすことができるので、図書館や公文書館のように書庫に困ることはない。ただ、一定時間ごとにデータの劣化補正をしておく必要がある。
 山梨県地域のデジタルコンテンツセンターの構築を至急検討すべき時である。いま生きている私たち一人ひとりの個人的記憶と地域社会が生み出す集団の記憶とが忘れられないために。



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