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緑のバルコニーと白い壁。明治のはじめ山梨県令・藤村紫郎が奨励した西洋風建物で藤村式建築と呼ばれ、県内に200余り建てられた建物。現在保存されているのは、この民俗資料館をはじめ4棟だけとなった。 舂米(つきよね)学校として1876年に開校。1921年から旧増穂村役場庁舎として使用され、教育文化・行政の中心として役目をはたした。その後、建物の復旧工事で1974年、増穂小学校グラウンド北側に移転し、増穂町民俗資料館として生まれ変わった。 館内には、当時の舂米学校で使用された机、イス、黒板などで教室を再現。寺子屋時代から現在までの教科書も展示している。 愛国精神を盛り込んだ明治後期、大正デモクラシーを反映した大正時代、1933年から1940年は、国家主義的思想を次第に強めた過程など、教科書の歴史の変遷が理解できる。 生徒の絵画、作文などの作品や各時代の卒業証書、通信表、成績優秀な生徒に授与された奨学金支給証書、職員出勤簿も展示している。また、コマ、メンコ、羽子板、カルタなどの遊び道具や、太平洋戦争中に配給された桑の皮を素材とした国民服、戦火を逃れたひな人形、日米親善(1927年)の青い目の人形「ヘレン・モナー」も展示されている。 このほか、羽織はかま姿の卒業記念写真や昭和14年当時、児童数2000人を越えた“マンモス小学校”の授業風景など、貴重な写真が集められている。 らせん階段を昇る最上階の3階には、六角型の太鼓堂がある。各窓は開閉式で、授業開始、終了を告げる大太鼓が設えられている。山梨県の教育の歴史が豊富な資料で語られている同館は1975年に県の指定文化財になっている。 |
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