南巨摩郡身延町身延3567 tel05566(2)1011
宗派 日蓮宗総本山
本尊 十界曼荼羅
国宝・絹本著色夏景山水図/重要文化財・釈迦入相図ほか
身延町役場から車で7分/「身延山」バス停から徒歩20分
拝観料 宝物館・一般300円、 大・高200円、 中・小100円
駐車場あり W.C.あり 売店あり
 甲斐百八霊場は身延山久遠寺で締めくくられる。三門までの1kmほどの道筋はかつての門前町で、土産物屋、旅館など今もにぎわいを見せている。この三門は明治の頃に再建され、間口23間(41.8m)、奥行7間(10.3m)、高さ7丈(21.2m)と壮大なものだ。正面の石段は287段あって、"菩提梯"と呼ばれている。360年ほど前、佐渡の信者が先祖の菩提のために発願し、その後数代かけて完成したものという。石段の左手に男坂、右手には女坂があるのでここを利用する人が多い。
 境内には御真骨堂を中心に、祖師堂、仏殿、納牌堂、大客殿、法喜堂、などの大伽藍が立ち並ぶ。また諸伽藍の奥の山の上にある八幡神社本殿は慶長3年(1598)、甲府城主だった浅野幸長の城代・浅野忠吉が造営したもので、桃山建築の県指定文化財である。本殿は昭和60年に完成された。外陣の天井画「墨龍」は加山又造画伯の描いたもの。地下の宝物館には所蔵の宝物が展示されている。
 裏手のロープウェーで山頂まで行くと、奥の院・思親閣がある。ここは大孝院ともいって日蓮の両親追慕の道場であった。日蓮お手植えの大杉が今も残っている。頂上見晴し台から西に見える七面山は法華経信者の守護神、七面大明神が祀られている。また三門の左手は西谷で、ここには日蓮上人の庵跡に舎利を納めた多宝塔があり、周辺には歴代法主の墓やお万の方などの供養塔がある。


祖師堂脇のシダレザクラ
 日蓮聖人は貞応元年(1222)、安房の国小湊に生まれ、12歳で出家して天台宗を学んだ。その後、仏法の真髄が法華経であることを悟り、建長5年(1253)、清澄寺に戻り、名を日蓮と改めて「法華経」の教えを説き始める。鎌倉・松葉谷に移った日蓮は文応元年(1260)、「立正安国論」をまとめ、鎌倉幕府の執権北条時頼にこれを提出、政治と信仰の是正を進言したが受け入れられず、浄土教信者の襲撃や、滝の口の処刑などたび重なる法難の後、佐渡へ流された。文永11年(1274)、鎌倉に帰った日蓮は自分の思想が幕府に受け入れられないことを悟り、波木井実長の招きで身延山に入り、この地で弟子の育成に専念した。実長から寄進された三間四面の庵に入ったのが6月17日で、この日を身延山開創の日として法要行事(6月大会)が行われている。
 日蓮が身延に住んだのは9年間で、弘安4年(1281)には十間四面の堂も建てられた。その翌年の弘安5年秋、病を得て常陸の湯に向かうが、途中、池上の地で病重く、池上右衞門の館で10月13日に61歳の生涯を終えた。その後歴代の住持の努力により山は発展し、江戸時代には諸大名の帰依も多く、一時は山内の坊舎数も200坊を数えて大寺院となったが、江戸末から明治にかけ度々の火災に遭った。その後73世・日薩らの努力によって再興され、今日の偉容をもつに至った。


奥之院思親閣