南巨摩郡身延町大野839 tel05566(2)0036
宗派 日蓮宗
本尊 十界曼荼羅
重要文化財・本堂、 鐘楼堂/県指定文化財・紙本著色日蓮上人図像、紙本墨書十如是御書
JR身延線身延駅から車で4分/「大野」バス停から徒歩15分
拝観料 志納
駐車場あり W.C. あり
 国道52号線の下山から、波木井(はきい)の坂を越えて新しいバイパスを下り、身延橋の手前を右に入ると本遠寺へ出る。身延町は日蓮宗総本山のおひざもとで、近年、JR身延線の駅前通りは町ぐるみで家並みを江戸風に建て変え、歴史ある町としてPRしている。
 大きな朱塗りの山門を潜ると正面に国の重文となっている入母屋作りの量感あふれた本堂があり、右手に客殿、裏手に仏舎利塔ふうの宝物館が見える。広い境内には以前は塔頭(たっちゅう)が7棟あったが、今もそのひとつが別寺として境内に残っている。
 寺歴は、徳川家康の側室お万の方が身延山22世日遠上人に深く帰依し、慶長14年(1609)に伽藍を造営して寄進したところから始まる。お万の方は徳川御三家の祖のうち紀州大納言頼宣、水戸中納言頼房(第102番南松院参照)の生母である。この由緒で本遠寺は朱印地を持ち、その石高も260石という大きなもので、独立した日蓮宗本山42ケ寺の一つとして末寺も12寺あった。お万の方は生涯法華経の教えに帰依し、その後、女人禁制であった七面山にも登り、承応3年(1654)に没した。本堂裏手に立派な墓所がある。


境内の中心に立つ町指定文化財の大クスノキ
 現在の本堂は慶安3年(1650)に、紀州徳川家と水戸徳川家により寄進されたもの。太い欅(けやき)の丸柱が目をひく修行道場である。また外陣の天井にはお万の方がつけた足跡がいまも残っている。現在はかなり傷みが進み、近く改修する計画が練られている。
 身延山の第22世日遠は慶長13年(1608)に京都妙満寺と浄土宗論を行い論破した。浄土宗側の願いで再度江戸城で討論することになり、その前夜、日遠は傷を負わされて出席できずに負けとなった。日遠はあらためて法論を申し出たが家康の怒りをかい、阿部川で磔(はりつけ)にされるところを、お万の方の身を捨てた赦免の願いにより身延へ帰山が許された。のち、日遠は大野に小庵を建てて住んだ。3代家光のとき池上本門寺の住職になり、鎌倉で没し、ここ大野の地に葬られた。


境  内