


| 南巨摩郡身延町下山山額4614 tel05566(2)5016 | ||||||
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| 南松院から国道52号線を南へ数分も走らないうちに右折の案内板がある。この道を折れて1kmほど登り詰めると、龍雲寺へ続く急な坂の途中に仁王像が台座の上から威圧するように見下ろしている。 山門をくぐると正面に本堂、右手に庫裏がある。本堂は間口16間、奥行き10間という県内では大きなものの一つに数えられ、急傾斜の大屋根は見上げるほどに高い。この大屋根は富士川の対岸からも見えて、興味を抱いて寺を訪れる人も多いという。境内は全体がよく手入れの行き届いた庭園になっている。 穴山信綱(穴山梅雪の祖父)が享禄3年(1530)に菩提寺として創建した寺である。元は現在地より奥まったところに不動明王を祀る真言寺院であったものを、信綱が菩提所とするとき曹洞宗に改宗し、現在地に移した。武田氏が信虎・信玄の代に勢力を伸ばし、勝頼までの3代にわたって隆盛をきわめたように、穴山氏も武田の親族として信綱とその子信友、孫信君の3代が全盛期を迎え、この時期に峡南の地に多数の寺院を建立した。 | ||||||
![]() 仁王像と鐘楼 | ||||||
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寺歴の古さを物語るものとして、本尊十一面観音の胎内に襟掛けと頭髪が秘蔵されている。これは1300年前の光明皇后のものといわれている。このほか寺宝として、真言宗時代の本尊である降魔不動明王像や信綱が使った馬具、穴山氏関係の古文書など多数ある。 龍雲寺は天正17年(1589)の火災で建物すべてを焼失してしまい、現在の建物はその後200年を経た天明年間(1780〜88)に再建されたもの。本堂の大きな天井は自然のままの曲がった丸太を組み上げて、力感あふれる作りになっている。当時、この寺の再建に当たっては、山深い早川流域からたくさんの原木を切り出して急流で運んだというが、これは穴山氏時代に末寺や檀家が各地にあり、天明の再建ではとくに早川地区が尽力したことによると伝えられている。 |
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![]() 細い上り坂を登りつめた山間に立つ山門 |