


| 西八代郡市川三郷町5711 tel055(272)0716 | ||||||
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| JR身延線市川本町の駅から見える南東の台地の上に宝寿院はある。薬王寺からは市川大門線に出て左折し、2kmほどになる。駅の南、山側一帯の台地は平塩の岡といわれ、この上に立つと旧市川大門の町並みとその向こうに広がる甲府盆地、さらに視界をさえぎる南アルプスの大きな山並が見える。 この平塩の岡の名は、近くに塩泉が湧いていたことからつけられた。かつて市川の集落はこの台地にあって、のちに紙漉き業が発展して芦川べりに移ったという。またここは甲斐源氏の祖・義清(新羅三郎義光の子)が常睦国(茨城県)から移り住んだという場所で、三条実美の書いた「甲斐源氏旧跡碑」が近くの熊野神社にある。 寺記によると、奈良朝の天平7年(735)、僧行基が諸国を巡り、甲斐の国にも多数の寺院を建てて法相宗を広めたといい、平安から鎌倉期にかけてここに白雲山平塩寺という巨刹が栄えた。当時は東塔院には薬師如来、西塔院には阿弥陀如来を本尊として支坊100を数えたといわれているが、いまは廃寺になって存在しない。宝寿院はその西塔院にあたる。天正年間(1573〜91)に真言宗に改宗して今の寺号となった。当時は本堂、講堂、観音堂、大師堂、阿弥陀如来堂、鐘楼などの堂宇があったが天保14年(1843)に焼失。さらに昭和62年に再び出火、本堂と庫裏が全焼した。 | ||||||
![]() 樹齢200年といわれるシダレザクラ。奥は鐘楼 | ||||||
| 市川本町駅裏の古びた総門はかつて寺に寄宿した六部(回国巡礼)が5年あまり托鉢をして建てたものという。この門をくぐって坂を登り詰めると鐘楼。寺では1日5回、定刻に鐘を突き、「宝寿院の鐘」として近隣の人に親しまれている。鐘楼の向こうには有名な樹齢200年のシダレザクラがあるが、初代は夢窓国師が手植え、現在はその6代目にあたる。夢窓国師は平塩寺で9歳の時に得度して母の菩提をながく弔った(第86番古長禅寺参照)。その母の墓所は東の山に向かって10分ほど歩いたところにあり、東郷平八郎(元帥海軍大将)が書いた碑が立っている。境内には国師が手がけたという有名な庭があって、いまも訪れる人が多い。 | ||||||
![]() 夢窓国師の庭園 |