西八代郡市川三郷町上野199 tel055(272)1398
宗派 高野山真言宗
本尊 毘沙門天
県指定天然記念物・薬王寺オハツキイチョウ/町指定文化財・八宮御座所、 八宮遺物、 絵馬、 硯
市川三郷町役場三珠支所から車で2分/JR身延線芦川駅から徒歩10分
拝観料 志納
駐車場あり
 薬王寺は、光勝寺からさらに旧市川大門方向に1.5kmほど進み、JR身延線芦川駅の手前を左手に降りると見えてくる。この辺りまで来ると芦川の渓谷は山合いを離れ、富士川に向かって大きく扇状地を広げている。寺号の河浦山はこの芦川にちなんだものという。
 寺の正面は西側で、寺域のいちばん低いところになる。入口脇に「後陽成院第八之宮良純親王遺跡」の石標があり、石段を上ると安永2年(1773)に建てられた大きな鐘楼門が木の間越しに建っている。境内には小さな池と梅などの植え込みがあり、弘法大師像などが置かれている。また正面の大きな建物は客殿と庫裏、玄関をかねたもので、享保9年(1724)に建てられたものだ。
 寺記によれば聖武天皇の頃の天平18年(746)、行基が多聞天像を刻み祀ったことに始まるという。その後、真言宗に転じた。天長9年(832)に淳和天皇から、天治元年(1124)、源義清から寺領が下賜され、また武田信玄や徳川家康の庇護も受けるなど、当時は七堂伽藍が建ち並び、寺内には僧6、 俗11、 門前に男女総数41人という大所帯だったという。


1655年ごろ、良純親王が住んでいた御座所の一部
 薬王寺には後陽成天皇第八の皇子である良純親王が、明暦元年(1655)から5年間住んでいた。親王は寛永20年(1643)から17年間、甲斐に流され、最後の5年間をこの寺に仮寓したのだ。この地に移ったのは、芦川の水を京の鴨川に見たて、親王を慰めるためであったといわれる。現在親王の居所の一部が客殿右奥に移築されているが、ここは一段と高くなった1坪(3.3平方m)ほどの立派な作り座敷である。ほかにご遺愛の硯、団扇、菓子入れ、知恩院の宮の書いた「儼然」という額などが保存されている。
 寺には本尊の多聞天像のほかに不動明王像、弘法大師像、また末寺の大眞寺が廃寺となったとき保管することになった十一面観音像などがある。変わったものでは境内の南西側にある根周囲4m、樹高16mのオハツキイチョウ(雄株)と、客殿奥のケースに保管されている高さ70cm程の「蟻の塔」(クサアリの巣)などがある。


毘沙門天(多聞天)像