


| 南巨摩郡富士川町八幡2321 tel0556(22)0628 | ||||||
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| 蓮華寺は旧鰍沢町の中心街にある。鰍沢は駿信往還の宿場町であり、また富士川水運の集配地点でもある交通の要衝であった。水運の盛んな頃は問屋、旅籠、煮売り屋が軒を並べ、とくに身延山のお会式の時期は参拝者で混雑したとう。 鰍沢の街筋を西の山地に向かって少し入ると急な坂があり、その台地の上に蓮華寺はある。いまは本堂、客殿、庫裏などのすべてが再建され、真新しい建物が整然と立ち並ぶ。寺歴をさかのぼると、この地はかつて日蓮の高弟六老僧の一人、日興が誕生した地で、また日興の父、橘光重が館を構えていたところといわれる。 日興の父はこの付近一帯の荘園、大井の庄(櫛形町から鰍沢町辺り)の庄司で、日興はその嫡子としてこの地に生を承けた。幼くして父を失ったため、外戚である河合の庄司(静岡県)由井氏によって養育され、駿河・岩本の実相寺で出家した。文永の頃(1264〜74)、富士郡に来た日蓮に師事して、以後は佐渡流罪の時にも日蓮に従い、日蓮が身延に入ってからは出生地の鰍沢をはじめ甲斐、駿河などで布教活動に専念した人で、第91番・妙法寺の日蓮宗転宗など事績を残した。また、日蓮没後は駿河に行き、大石寺を開き、日蓮正宗を起こした。 | ||||||
![]() 平成12年に新築された本堂 | ||||||
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橘氏は父光重、弟の橘三郎の2代で滅亡した。日興は晩年に弟子の日華に出生地である鰍沢の館跡に祖先菩提の寺を開くことを命じ、蓮華寺が建立された。蓮華寺は一時、光長寺(日興の幼名説)と称されていたが、慶長16年(1611)に富士派から長遠寺(第87番)客末となり、その時に寺号も現在のものに改められた。 明治に学制が施行された時、蓮華寺は藤村県令(県知事)の教育施策に積極的に呼応し、本堂と敷地を学校用地として当時の鰍沢村に提供、人材の育成に尽力した。その碑が境内に立っている。 |
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![]() 蓮華寺入口。左は「日興上人誕生の霊場」の碑 |