南巨摩郡富士川町最勝寺2016 tel0556(22)1447
宗派 高野山真言宗
本尊 聖観世音菩薩
県指定文化財・正観音菩薩像版木、 鰐口/町指定文化財・木造聖観音立像 ほか
富士川町役場から車で3分/JR身延線鰍沢口駅から車で10分/「教習所前」バス停から徒歩15分
拝観料 志納
駐車場あり
 最勝寺へは第89番昌福寺から国道52号線を南へ向かい、戸川の手前を右折して800mほど行った観音橋を渡り、その先の細いY字路を右へとる。そこからはもう最勝寺の観音堂と無数に立てられた観音霊場の赤い旗の列が見える。
 仁王門を入った正面が本堂、右手に観音堂が建ち、その脇に樹齢300年という県内でも有数のサルスベリの木がある。ほかに境内には町指定天然記念物のシキザクラ(エドヒガン)があり、この木は文字どおり四季に花を咲かせる。本堂前に銅鐘碑が建っているが、これは同寺にあった梵鐘(鎌倉期)が平成9年4月の第37回観音祭りに身延山久遠寺から里帰りをしたことを記念して建てられた。また正面にある仁王門はかつて33段の石段があって下から見上げるような高さだったというが、洪水で周辺一帯が土砂に埋まり、今のような景観になったといわれている。


観音堂に脇に立つ「夫婦サルスベリ」
 寺記によれば聖武天皇の勅願で奈良・西大寺の忍正(性)が天平20年(748)に開創したとされる。またその頃、行基がこの地を訪れて観音像を彫り"その功徳最勝なり"としたところから寺号を「最勝寺」としたともいわれ、この地一帯も寺にちなんで最勝寺地区と呼ばれるようになった。開創当時は三論宗で、弘仁10年(819)に真言宗に転じた。天正10年(1582)、武田氏の滅亡の際に織田軍によって火をかけられたが、観音堂だけは燃えずに残った。観音堂はその後、正保3年(1646)の火災にも難を逃れた。二度の火難を免れた観音堂は、室町の形態を残す、桃山の頃の築造と推定されている。本尊の聖観音像は鎌倉初期のもので、秘仏の前立ち仏だったものではないかといわれ、高さ51cm、右手に未敷蓮華(みふれんげ)を持っている。
 最勝寺には檀家が6軒しかなく、そのほとんどが寺の関係者で、今は遠隔地に散っている。そこでこの最勝寺地区の有志360戸(全地区610戸)が由緒ある最勝寺を保存しようと立ち上がり、昭和39年に保存会を結成した。今はこの会が寺への寄進・修復・管理などに取り組み、平成9年の地区を挙げての観音イベントも同会により取り仕切られ、寺の改装も集められた浄財で実現された。


山  門