南巨摩郡富士川町青柳483 tel0556(22)0218
宗派 日蓮宗
本尊 十界曼荼羅
県指定文化財・鰐口
富士川町役場から車で2分/JR身延線市川大門駅から車で10分/「青柳」バス停から徒歩3分
拝観料 志納
駐車場あり W.C.あり
 「虫切り加持(かじ)」で知られる昌福寺へは国道52号線を南に下り、青柳の家並みのほぼ中ほどを西に折れる細い参道を入っていく。境内には鐘楼、七面堂、本堂、庫裏が整然と並ぶ。この寺は妙法寺(第91番)の住職であった日伝の弟・日全が永仁6年(1298)に開いたとされている。かつてはここから遠くない川辺にあったが、文明年間(1469〜86)、水害を逃れてこの地に移った。
 虫切り寺の由緒は、霊元上皇が重い病気に悩まされていたとき、寺の12代持住の日法が京都の御所に参内して加持を行い、17日後に上皇は全快した。喜んだ上皇は「経王祈祷所」の勅願を日法に与えた。この日法の「虫切り加持・護符の秘法」が昌福寺に伝えられ、その後、近隣に住む多くの人たちが子供の成長を願う行事となった。最近はマスコミなどに紹介され、県外からも訪れる人が多い。また青柳地区では「虫切りの里」を町おこしのテーマとし、お彼岸などにいろいろなイベントを手がけている。


春と秋の彼岸に開かれる「虫切加持祈祷」
 また、寺の言い伝えによると、この地にはかつて悪霊がいて里人が難渋していた。そこへ通りがかった日蓮上人が石に法華経を書写して悪霊を払ったという。里人は日蓮に帰依して一寺を建立し、日全を住持に迎えたのだという。
 寺は天文元年(1532)に堂塔をほとんど焼失したが、当時、近くの舂米(つきよね)地区に住む素封家・小林八右衛門が持ち山から多くの木材を切り出して堂宇の再建に力を尽くした。寺は今もこの小林八右衛門の回向(えこう)を毎日行っている。
 また昭和31年に自民党総裁となった石橋湛山の父がこの寺の住職をしていたため、湛山はこの地で子供時代を過ごした。中学へは長遠寺(第87番)から通った。湛山の父は増穂町出身の杉田湛誓(のち身延山久遠寺81世)。湛山は昭和31年(1956)、山梨県人として初めての総理大臣になるが、病を得てすぐに職を退く。辞職に当たっての"石橋書簡"は政治家の出処進退の規範とされた。


虫切加持堂