


| 南アルプス市鏡中条700 tel055(282)1503 | ||||||
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| 長遠寺のは若草町の田園地帯の中心部にある。周辺は狭く曲がりくねった生活道をはさみ農家が土塀を巡らしている昔のままの風景が残るところだ。第86番古長禅寺からは国道52号線に出て北に向かい、小笠原橋北詰交差点を右折、甲西バイパスを横切り、若草町役場の先を左折して北進。付近は道が網の目状となっているので慎重を要する。 最近建て直された黒塗の惣門の下を通り、さらに山門を潜(くぐ)ると約1万坪あるという寺域が左右に二分されている。境内の左手正面は真新しい瓦を乗せた量感あふれる10間四方の本堂、その左に鬼子母神堂、日朝堂、山門わきに鐘楼が立つ。右半分は客殿や庫裏があって、美しい前庭が広がっている。 | ||||||
![]() 手前が山門で、奥が鐘楼 | ||||||
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寺はこの地を支配していた加賀美遠光が祈願寺として建立したのが始まり。地名の「鏡」は「加賀美」が転化したもの。同寺はかつて戸田村(旧甲西町内)にあった真言の寺院で、建治3年(1277)、日蓮宗に改宗し、弘安2年(1279)に現在地に移築された。 その後300年を経て武田信玄の家臣の五味土佐守長遠が再興したので今の寺名となった。日蓮宗になって国中の触頭三カ寺の一つとして末寺70余寺を支配する巨寺であったが、明暦、宝永の二度の大火で堂塔のほとんどが消失した。同寺はとくに武田家との縁が深く、信玄の父信虎が身延山から贈られた曼荼羅を寺に収めたのが本尊の十界曼荼羅。また信玄が住職に宛てた日常的な書簡もいくつも残っている。 見どころのひとつに庫裏の裏手の庭園がある。ここには日本の国土を形どった池があり、安房、佐渡、身延山など日蓮ゆかりの地に滝や石や灯籠が配されている。また「東北」に当たる地域は冬になると日影になって結氷する。この地一帯は江戸期になって釜無川が再三氾らんしたが、寺には文化、文政(1804〜29)のころの水害を絵図面にしたものなども残されている。戦後の宰相、石橋湛山がその青年期を過ごした部屋があり、当時の遺品もある。 |
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![]() 山 門 |