


| 南巨摩郡富士川町小林2247 tel0556(22)1285 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| ||||||
| 第83番明王寺の新しい道を500mほど南に進むとすぐ、右手に南明寺の本堂の大きな三角屋根が見えてくる。築地塀を巡らせた境内正面の山門はいまは閉ざされたままだが、この山門にかかる扁額は江戸期の名僧・月舟(1618〜96)の書いたもので「蒼龍窟(そうりゅうくつ)」と読める。 寺へは右手の車道から入るが、山門を潜ったところに石の観音像が何体も並んでいる。境内中央は水の涸れた大きな池で、正面は間口14間(約25m)の大屋根の本堂、右手には白壁に切妻屋根の立派な庫裏がある。池は昭和の半ばまで近くの利根川の伏流水が湧き出ていたが、上流での河川工事で水脈が変わり、涸れ池となってしまった。また白壁の庫裏は鰍沢にあった小林八右衛門邸を大正の頃に移築したという。 | ||||||
![]() 寺宝の徳川家康像 | ||||||
|
南明寺の開山は、螢山紹瑾(けいざんしょうきん・鶴見の総持寺を開く)の高弟の明峰素哲(めいほうそてつ)で、修行のため諸国をめぐって、元亨の頃(1321〜23)この大井の地に一庵を建てたことにはじまる。明峰がこの地を去ってからは弟子の雪山玄杲(せつざんげんこう・第97番慈観寺の開祖)が継いだ。 当寺は徳川家康と深い関わりをもつ。天正8年(1580)に住持となった義存(ぎそん)は三河(静岡県)の生まれで、家康が今川の人質時代に机を並べていた人物。家康はこの地を三度訪れ、当時、家康が兜(かぶと)の台座の中に入れていた小さな守り本尊の八幡像が祀られている。このほか家康直筆の火の用心札、家康がみそをすったという2本の大擂(す)り粉木(こぎ)(3.15mと2.55m)が本堂にある。八幡像は4月17日に開帳され、火の用心札は正月に檀家へ無料で配られる。江戸時代には権現様(家康)の遺品を見ようと大変な人出があったという。 |
||||||
![]() 徳川家康の大すりこぎ |