南巨摩郡富士川町舂米2 tel0556(22)1283
宗派 真言宗智山派
本尊 不動明王
重要文化財・薬師如来像、 鰐口/県指定文化財・不動明王版木/町指定文化財・四脚門 ほか
富士川町役場から車で5分/JR身延線市川大門駅から車で15分/ 「新水道」バス停から15分
拝観料 志納
W.C. あり
 明王寺は、第82番妙了寺から国道52号線に出て南下し、利根川沿いに右へ入ってしばらく行った舂米(つきよね)地区にある。ここは櫛形山から流れ出た利根川が扇状地を形成した要(かなめ)の部分に当たる。
 寺の縁起では、 儀丹上人(ぎたんしょうにん・藤原鎌足の子・不比等ゆかりの人)が天平神護年間(765〜67)、この地に来て、利根川上流の大滝で修行にはげんだとき不動明王の霊像が現れ、この霊像を本尊として現在の地に明王寺を開創したのが宝亀元年(770)と伝えられている。
 寺は開山当初は三論宗で、以後、いくつかの宗派を経て真言宗智山派となった。平安後期から室町の頃の寺容は境内地が約3000坪(約9900平方m)、ほかに広大な山林があり、この中央に本堂、金堂、五重塔をはじめ多数の伽藍が建ち並んで、東西南北に自在天や権現などの守護神をめぐらしていた。また南の大久保地区に奥社を持つ熊野権現を祀り、さらに櫛形山の麓(ふもと)、平林に鷹尾寺(現在の氷室神社)を奥の院として一帯の地域に無数の坊があったという。当時は歴代の皇室の庇護を受け、後小松天皇(在位1392〜1412)より「大聖金剛山」の勅額を賜り、菊花紋章の使用が許された。のちには武田、徳川の祈願寺ともなり、甲斐の真言七談林の一つである。


25年に1度行われる柴燈護摩祈祷(平成12年3月)
 しかし武田氏滅亡のときに織田軍の兵火にかかったのを始め、以後もたび重なる火災(享保・天保)に遭い、明治の「神仏分離」と戦後の農地解放を経て、いまは庫裏を兼ねた本堂と宝蔵を残すのみとなった。
 寺宝としては、平安初期の檜(ひのき)一本彫りで像高43cmの薬師如来立像、貞応3年(1224)の銘のある鰐口(わにぐち)が重要文化財。ほかに文明9年(1477)の銘が裏に彫られている県指定文化財の不動明王像版木がある。また勅使門であった四脚門は室町の頃の遺構を伝えるもので、町の文化財に指定されている。


薬師如来像


明王寺のホームページ