


| 韮崎市竜岡町下条東割1493 tel0551(22)1831 | |||||
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| 国道52号・富士川街道を八田村側から韮崎市に入ると約1kmで下条東割の信号となる。字が「坂之上」の名前のとおり、ここ一帯は釜無川右岸の段丘頂部の集落で、本照寺は住宅に囲まれているため遠くからは姿が見えにくい。しかし、注意してみると本堂の特徴ある屋根が、住宅の屋根の上に頭を覗かせ、国道からも見えるところもある。 同寺は「藤曼荼羅」の寺としてよく知られている。藤曼荼羅の由来は、日蓮筆と日蓮六老僧の一人・日興筆との二説があって定かではないが、日蓮説は、日蓮が佐渡に流されたときこの地を通り、にわか雨に松の木の下で雨宿りした時、たれていた藤の枝によって曼荼羅を書き上げたという。また、日興説は、佐渡にいる日蓮を日興が訪ねた折、雨宿りして藤の枝で曼荼羅を書いたという。 いずれにしても嘉暦4年(1329)、この曼荼羅を本尊に、日興上人の高弟・日順がこの地に精舎を建て、法永山・本照寺と号したのがこの寺の創建だといわれ、日蓮を勧請開山、日興を開山、日順を準開山としている。 | |||||
![]() 鐘 楼 | |||||
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境内は、正面、左右を住宅に囲まれ、国道から寺に至る道路も細いため、車両の騒音もなく、参道左右に畑を配した静かな環境にある。かつては大木に囲まれていたといわれるが、倒木による本堂や鐘楼などの被害を避けようと大きな木を切ってしまったため、日当たりの良い明るい境内となっている。また、庫裏域が本堂、鐘楼、客殿などの境内域と別域になっているのがこの寺の特徴でもある。参道の正面はかわら屋根の本堂で、大きな屋根が目を引く。左手には鐘楼、「藤曼荼羅」を表現してか小さな藤棚もある。右手は新築した客殿となっている。
同寺はしばしば火災に遭い、多くの什物を失ってしまったが、徳川家奉行連署の寺領寄進状や禁制の写し、日蓮上人曼荼羅一幅、日興上人本尊が残って大切に保存されている。 また、墓地の一角に日蓮宗寺院特有の鬼子母神堂があり、安産、子育ての信仰を集めている。 |
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