


| 韮崎市旭上条南割1961 tel0551(22)0577 | |||||
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| 大公寺は、常光寺(76番)と同じく徳島堰沿いにあって、ツツジやスズランの群生地で知られる「甘利山」の東南麓。戦国期に武田氏の重臣甘利虎泰・昌忠父子などの活躍で知られる甘利庄(荘)にある。東南に広く展望が開き、甲府市の市街地を遠くに見渡せる。寺域は地元で「蛤(はまぐり)山」(遠くから見るとハマグリに見える)と呼ばれている山のふもとに、年輪を重ねた樹木に覆われ、静寂さと、おごそかさを漂わせている。かつては周囲に竹林が茂っていたため、蕃竹山の山号になったと伝えられる。 寺は足利一族であり一色氏を名乗った足利右馬頭泰氏(あしかがうまのかみやすうじ)の四男公深の長子一色太郎範氏(1369年没)を開基に、観応元年(1350)天台宗の寺院として開創された。寺名は範氏の法名だという。その後、足利氏の没落と同時に一色氏も衰えため、寺も荒れ果てたが明応・永正年間(1492〜1520)、玄室慶参(げんしつけいさん)和尚が復興、曹洞宗に改宗して現在に至っている。 | |||||
![]() 紅葉に彩られた鐘楼 | |||||
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徳島堰にかかる小さな太鼓橋を渡って長い参道に入ると総門。後述する大火で唯一焼失を免れた建造物である。建造の年代は定かではないが、重ねた修復の跡が長い歴史を感じさせている。江戸時代は御朱印地を得て境内周囲東西5町、南北2町半の広大な寺領を有し、伽藍も本堂、庫裏、鐘楼、座禅堂、衆寮などがそろった寺院であった。しかし、明治30年の火災によって全堂を焼失、歴史的建造物は総門だけとなった。火災の跡が今でも杉の木に残っている。現在の諸堂が完成したのは大正15年(1926)。火災で宝物はなくなったが、峡北屈指といわれる梵鐘は今も残る。火事でひびが入ってしまったため、かつての美しい音色は出ない。現在は新しく建てられた鐘楼堂の下に大切に保存されている。 室町時代の遺構として過去七仏石幢(毘婆尸仏<びばしぶつ>〜釈迦牟尼仏までの七仏の名が記されている)がある。また、江戸初期のものと見られる、六観音(聖、如意輪、馬頭、千手、十一面、准胝)の名が陰刻された単制幢(たんせいとう)などが境内でみられる。 |
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![]() 総 門 |