


| 韮崎市穴山町1509 tel0551(25)5485 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| ||||||
| 中央道須玉インターを出て141号線を韮崎方面に南下すると、道路右手の小高い山の麓に朱塗りの大屋根が目に入ってくる。満福寺の庫裏である。寺入口の標識は目立たないが、桐ノ木橋の交差点の手前で赤い屋根を目指して右折する。同寺に山門はない。白壁に囲まれた境内は、国道から100mほど離れているため静寂そのもの。石柱の門から入る正面に本堂、右手に鐘楼、庫裏が並ぶ。本堂正面に白い花をつけるフジ棚、開花時の本堂とのコントラストが見事だ。 武田の祖・新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)からたどること11代目、当時の甲斐安芸守護武田信武の5男・義武(穴山四郎)が、逸見郷の重要拠点であった「穴山」を領し、地名を姓として「穴山氏」を名乗った。この穴山氏の菩提寺として建立されたのが満福寺である。 | ||||||
![]() 朱塗りの大屋根にサクラの花が際立つ | ||||||
|
明徳3年(1392)、穴山満春が甲斐河内(峡南地方)に移るとともに一時期衰退したが、敷島町亀沢の天澤寺(第65番)の2世明江徳舜を中興開山として文亀2年(1502)復興。さらに穴山氏の中でも最も名高い穴山信君(梅雪)によって寺領の寄進を受け、菩提寺として栄えてきた。 穴山氏と同寺の関係を今日に伝えるものは、本堂の裏山にある「穴山氏の墓」。本堂左手から大きく本堂裏に回りこみ、庫裏の裏でもう一度折り返しながら5mほど山に登ると、石仏、無縫塔が竹や杉の木を背景に横一列に並んでいる。その列の一番奥に少し形の変わった宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。市指定の「穴山氏の墓」である。寺記によると信君とあるが、これら崩壊した墓碑は始祖義武らの墓とみられている。 同寺には寺宝として、長谷川三郎兵衛筆の「涅槃(ねはん)図」「十六善神図」があるが、残念ながら一般公開はしていない。また、本堂内に穴山氏の位牌が安置されており、申し込めば拝観できる。 |
||||||
![]() 穴山氏の墓 |