


| 甲府市東光寺三丁目7-37 tel055(233)9070 | ||||||
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| 第1番善光寺から西に400mほど行くと、住宅街の一角に第56番東光寺仏殿の重厚な姿が見えてくる。室町時代の作といわれ、鎌倉禅宗様式の代表的な建築物で国の重要文化財である。堂内には本尊の木造薬師如来座像と十二神将像が祀られている。いずれも県指定文化財。 境内には山門、仏殿、本堂が一直線に並んで建つ。本堂の裏には背後に迫る山を利用して作った池泉観賞式の庭園がある。これは蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の作と伝えられ、中国北宋の様式を色濃く残す名園である。東光寺は長禅寺、能成寺、法泉寺、円光院と共に甲府五山のひとつに数えられる名刹で、草創は平安時代の末期、保安2年(1121)、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光が国家鎮護の祈願所として堂宇を建設した興国院に始まると伝えられる。 | ||||||
![]() ![]() 仏殿の中、北東と北西の角に安置された十二神将像 | ||||||
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その後、文久5年(1268)、鎌倉建長寺を開山した中国の禅僧・蘭渓道隆(大覚禅師)が鎌倉を追われ甲斐に配流されされた際に禅宗寺院として再建した。戦国時代は武田氏の外護を受け隆盛を極めたが、武田氏滅亡のおり織田勢に山門と仏殿を残し、伽藍のほとんどを焼かれてしまった。 時の東光寺の住職、藍田(らんでん)上人(武田信玄の伯父)は恵林寺の山門の楼上で快川(かいせん)国師らと共に火定に入った。江戸時代に入り、甲府城主・柳沢家により伽藍の整備や修理が行われ往時の壮麗な姿が戻ったが、その後甲府大空襲などでほとんどの建物は焼失した。度重なる火災に仏殿だけは奇跡的に被災を免れ、貴重な文化財を今に残している。本堂などは戦後の建物。 本堂裏山の墓地には武田義信と諏訪頼重の墓がある。長男でありながら父信玄と対立、この東光寺に幽閉され終焉を遂げさせられた義信、名族諏訪氏の当主で、信玄の妹を夫人に迎えていたが武田軍の攻撃を受けて敗れ、この寺に幽閉され切腹させられた頼重、いずれも戦国の悲しく厳しい歴史である。 |
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