


| 甲府市城東一丁目7-37 tel055(232)8656 | ||||||
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| 第54番の信立寺からは寺の前をまっすぐに北上する。そのまま進むとJR中央線のガードをくぐって第58番長禅寺の正面に出る。その手前、「中央」の交差点で国道140号に右折、酒折方面へ約400mほど進むと道は鉤の手状になる。尊躰寺はその鉤の手に曲がった右側にある。国道から50〜60m、まっすぐに伸びた参道の正面が客殿と庫裏、右側に鐘楼、左手に本堂がある。この寺も昭和20年7月の甲府空襲ですべての堂宇を焼失、 現在の本堂は戦後の昭和29年(1954)に再建されたものである。 寺の創立は大永元年(1521)。武田信虎が忠蓮社弁誉(ちゅうれんしゃべんよ)上人を開山に迎えて開いた。はじめは古府中の元柳町(武田3丁目)にあったが、文禄・慶長(1592〜1614)のころ、加藤、 浅野氏ら豊臣大名の甲府城築城にともない、現在地に移転した。 | ||||||
![]() 真向三尊阿弥陀如来図像 | ||||||
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本尊は「真向三尊阿弥陀如来」図像。甲府空襲のとき、この本尊と過去帳だけが焼け残ったのだという。本尊図像は朝鮮王朝のころの作とみられ、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)によって日本にもたらされたものという。信虎が難病にかかったとき、この本尊の霊験によって全快したと伝えられ、徳川家康が甲斐入国のとき、当寺を宿陣としたのも本尊の霊験があらたかなことを耳にしていたからだといわれる。甲府市指定文化財。 境内には、本堂前に佐渡金山奉行で知られた大久保長安(おおくぼちょうあん)の供養塔、本堂裏手に甲府学問所(徽典館、現在の山梨大学の源流)が創設されると教授として迎えられた富田武陵(とみたぶりょう)、「目には青葉山ほととぎす初鰹」の句で知られる山口素堂の墓がある。 |
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![]() 境 内 |