


| 中央市(旧豊富村)大鳥居1621 tel 055(269)2932 | ||||||
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| 大福寺は旧豊富村の南のはずれ、集落の奥にある。シルクの里公園の案内板に従って進むと、公園の南側に境内が広がっている。本堂と庫裏は村立豊富村郷土資料館に隣接している。本堂に参拝したのち、左手の庭園を仰ぎ見るとそこに薬師堂、振り返って正面に観音堂がある。甲斐三十三観音の十一番札所でもある。広大な敷地に、かつては七堂伽藍が整っていた。現在は公園で遊ぶ子供たちの歓声に包まれている。 今から1250年ほど前、奈良時代の僧・行基(668〜749)が天平11年(739)、この地で観音像を彫り寺を開いたのが始まりとされるが、その由緒ははっきりしない。その後、荒廃していたところを飯室禅師光厳(いいむろぜんじこうげん)が再興した。飯室禅師は武田家の祖・武田信義(信玄の11代前)の孫にあたる。信義の弟・浅利与一義成(あさりよいちよしなり)も大福寺に帰依している。浅利与一は源頼朝の平家追討軍に参加し、佐奈田与一、那須与一とともに"源氏の三与一"といわれた弓の名人。壇ノ浦の合戦で遠矢を射て名をあげた。与一にちなみ、同公園の東に「与一弓道場」が建てられている。 | ||||||
![]() 像高3.6mもある木造薬師如来座像 | ||||||
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その弓道場の手前を公園内に入り横切ると、与一の墓がある。高さ3.16mの層塔で、軸部と屋根を4階に重ねている。この層塔とまわりの浅利一族・20数基の五輪塔群は県の文化財に指定されている。 市指定の文化財も多い。薬師堂の中の薬師如来は木造の座像だが、高さ3.6mもあり、その大きさでは県内でも屈指の像といえる。また、観音堂の前立仏である聖観世音菩薩像は平安末期から鎌倉初期の作で、優美な等身大の立像である。奥の観音像は秘仏で33年に1度しか開扉しない。これも巨大な像で、かつて織田信長の焼き討ちから逃れるため堂から出して隠したが、焼かれた堂を建て直したところ像のほうが大きくて入らない。仕方なく脚を切って縮めてしまった。短足の観音様である。 毎年7月17日から18日にかけて観音祭りが開かれる。郷土資料館横にはレストランがあり、土・日・祝日に営業している。 |
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![]() 観音堂 |