
| 笛吹市御坂町大野寺2027 tel 055(263)4395 | ||||||
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| 大野寺の集落の中を縫うように坂を登っていくと、サクラ並木に続き、福光園寺の鐘楼門が見えてくる。石段の登り口の両脇に梵字の石碑が立ち、さらに右手には江戸期の石仏群が並ぶ。鐘楼門をくぐると正面に本堂、左手に見事なシダレザクラが枝を広げ、その奥に庫裏。本堂の右側には吉祥天ら三体が納められた宝物殿があり、はさまれて奥に香王観音立像の観音堂が建つ。 香王観音は奈良時代の僧・行基(668〜749)の作と伝えられている。また、本堂裏の小道を歩いていくと現れる「牛池」は、空海(弘法大師・774〜835)の加持祈祷によって湧き出た、との伝説がある。池の中に牛の形をした自然石があり、日照りが続いた年でも涸れることがないという。 かつては駒岳山大(小)野寺と号していたが荒廃し、保元2年(1157)、領主だった大野対馬守重包(しげかね)を中興開基、賢安上人を中興開山として再興をはかった。 | ||||||
![]() 吉祥天の座像 | ||||||
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平安時代の終わりに、八代の熊野神社が所有する八代荘に乱入した古代豪族・三枝守政は、神社側が京の朝廷に訴えたことにより裁かれ、重罪となる。その論告文が「長寛勘文(ちょうかんかんもん)」として伝えられている。 これを契機に三枝氏は衰え、おりしも甲斐源氏が台頭してきたため、寛喜3年(1231)、当時の国司、在庁官人の三枝氏らが国衙勢力の復興を願って造顕したのが、この「木造吉祥天女像」ほか二天像である。運慶の弟子・蓮慶の作で、吉祥天の座像は、全国的に見ても少ない。 武田信玄の帰依も受け、勝頼の時代に現在の山寺号になった。これまでに5回の火災に遭い、創立当初の不動明王像など焼失したものも多いが、本堂、鐘楼門ほか数点が新たに旧御坂町の文化財に指定された。甲州真言七談林の一つ。吉祥天などを参拝するには土、日曜に。平日には予約が必要。 | ||||||
![]() 鐘楼門脇の石仏群 |