
| 南都留郡忍野村内野192 tel 0555(84)2356 | |||||
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| 富士吉田市から国道138号線を山中湖方面に行く途中の左側に忍野村への入口がある。ここから忍野八海を右に見て2km余り行くと忍野村内野地区に至る。承天寺はその西寄り、木立の中にある。 山門をくぐると右手に村の文化財にもなっている鐘楼が目に入る。和唐折衷様式の美しい姿で、この鐘から打ち出される除夜の鐘がテレビを通じて全国に響き渡ったこともある。 さらに進むと、正面に本堂、右手に庫裡、左手には聖観音を祀る勢至庵(観音堂)がある。この聖観音は郡内三十三観音の19番札所となっている。 寺記によれば寿永3年(1184)、真言宗の寺院、長寿山上天寺として現在地より山沿いの宮の脇に開かれた。 | |||||
![]() 鐘楼から見た境内 | |||||
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建久4年(1193)、鎌倉往還建設の普請奉行として当地に来た鎌倉幕府の重臣畠山重忠がこの寺を定宿としたおり、時の住職に帰依、堂宇の整備につとめ、仏像などを寄進した。現在、寺の本尊となっている薬師如来像はその時のものと伝えられている。 重忠はもともとは平家の武将であったが頼朝に従い、義仲追討などに勲功を上げ頼朝から深く信頼された。 大永元年(1521)、寺は火災に遭い、全山焼失したが、慶長13年(1608)、江戸浅草の海禅寺から入山した太巖和尚が村人を説得し再建立した。その際に臨済宗に改宗し、現在の寺名に改められた。山号の医王山は本尊の薬師如来にちなみつけられたものといわれている。富士山の雪代に悩まされたため、享保年間に現在地に移された。 | |||||
![]() 鐘 楼 |