
| 富士吉田市小明見2068 tel 0555(22)0299 | ||||||
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| 宝鏡寺から桂川沿いに国道139号線を上り、富士吉田市に入る。眼前には富士がそびえ立っている。市街に入る手前の富士見町の交差点を左に折れ、1km余り行くと明見(あすみ)地区、左手に西方寺の伽藍が見えてくる。 西方寺は、嘉禄2年(1226)、清和源氏の血を引く新田大炊助義重の五男の祖底禅師(経義)によって開山された。当初は臨済宗の寺であったが、その後、文録元年(1592)、浄土宗に改宗した。寺の所在地も何度か変わり現在地に移ったのは享保年間(1716〜36)である。 山門を入ると左手に祖底禅師が父の義重より授かったという十一面観音を祀った観音堂がある。郡内三十三観音の8番札所だが、秘仏で拝観はできない。伽藍のほとんどが享保年間に建てられたもので、山門は寺院建築としては珍しい「武家門」である。堂宇は全て建築当時のまま。「地域の人達が一生懸命にお守りした証拠」と住職は言う。 | ||||||
![]() 板 碑 | ||||||
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境内にはホトトギス派の俳人・高浜虚子の「筆塚」がある。毎年4月には「虚子忌」が開かれ、大勢の俳人達で賑わう。 寺宝として、県内で最も古い大小の「弥陀種子(梵ぼん字・ぼんじ)の板碑」(卒塔婆そとば・そとば・の一種、鎌倉期に盛んに作られた)がある。県の文化財に指定されている。また、 裏街道の鎌倉街道が通っていた関係からか、富士北麓には古くから亡命者が隠れ住むことが多かったという。西方寺には、明治20年代、当時清国に支配されていた朝鮮から、わが国に亡命していた独立運動の志士・朴永孝、金玉均らが滞在していた。書院には朴永孝の書の額が掛かっている。 | ||||||
![]() 庭園から本堂を臨む |