
| 上野原市上野原3400 tel 0554(63)0620 | ||||||
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| 山梨県で最も東部に位置する上野原市は、幾層にも重なった河岸段丘の上に広がった町である。国道20号線本町交差点から100mほど山手に行くと、山門の両脇に「萬霊等」と「月見寺」と刻された二つの大きな石碑が見えてくる。 保福寺は別名、月見寺と呼ばれている。中里介山(なかざとかいざん)の長編小説「大菩薩(だいぼさつ)峠」の中で「甲州上野原の報(保)福寺、これを月見寺と唱えるのは、月を見る趣が変わっているからです…」と書かれたことに由来する。 保福寺は今から400年ほど前の天正10年(1582)、武田信玄の重臣で、上野原城主であった加藤丹後守景忠が中巨摩郡甲西町(現南アルプス市宮沢)の深向院(第85番)の住職、日州宗雲を開山に請うじて開いた寺である。 寺が創建された年に武田勝頼が天目山で討たれ武田氏は滅亡した。加藤景忠もそれからひと月後に武州多摩郡(今の八王子周辺)で戦没した。 | ||||||
![]() 承天禅師野手による「安寧山」の扁額 | ||||||
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この地域では珍しい、唐破風の屋根を持つ総欅(けやき)作りの山門をくぐると正面に本堂、右手には真新しい巨大な客殿・庫裏が見えてくる。山門には「安寧山」の扁額が掲げられているが、この書は承天禅師の手によるものである。承天はかつて江戸の高輪泉岳寺の役僧をしていた時、討ち入り後の赤穂四十七士を山内に招き入れたことで名が知られている。 宝歴元年(1751)に本堂や庫裏などを焼失、宝歴5年に再建されている。現在の庫裏・客殿は平成元年から10年かけて新たに建築されたもので、木造建築としては関東で有数の建物である。 本尊は地蔵菩薩で、古くから子育て、厄除けの仏様として信仰を集め、今も関東各地から参拝者たちが訪れている。 また、山門の脇の萬霊等は高さ3mと郡内でも有数の大きさを誇る。文化財としては鎌倉末期に作られたという「雲板」(寺内で食事などの時を告げる時に用いられたもの)があり、山梨県の指定文化財となっている。 | ||||||
![]() 月見寺の碑 |