
| 甲州市勝沼町勝沼3559 tel 0553(44)0027 | ||||||
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| 甲府から笹子へ向かう国道20号線が山合いにかかり始めた左斜面に名刹・大善寺がある。 三光寺からは国道20号線に出て、 東京方面へ向かう。 寺伝によると養老2年(718)に行基が薬師如来像を刻み、本尊として安置したことに始まる。のちに聖武天皇(在位724〜748)から柏尾山鎮護国家大善寺の寺号と勅額を賜り、皇室や歴代の幕府の祈願所として栄えた。 最盛期は52坊、3000の坊舎が並び、日川を越えて寺領が広がっていたという。安元2年(1176)に近隣の菩提山長谷寺と争って伽藍を焼失。再建された堂塔は文永7年(1270)に再び被災、後宇田天皇の命で時の執権・北条貞時によって弘安9年(1286)、現在の薬師堂などが再建された。 | ||||||
![]() 月光菩薩像(中央)と十二神将 | ||||||
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この薬師堂は鎌倉和様建築と東大寺大仏様式が組み合わさっている国宝建造物である。堂内には本尊の薬師如来像と日光・月光菩薩が安置されているが、いずれもサクラ材による一木造漆箔像の弘仁仏で重要文化財である。左右には見事な十二神将が並び、ほかに平安末の古文書、鰐口など多数の寺宝も所蔵している。また庫裏の裏手には池泉観賞式蓬莱庭園がある。県指定の名勝。 境内には三枝守国、理慶尼らの墓がある。三枝守国は寛平(889〜897)の頃、甲斐に来た有力な人物で、甲斐一円を支配し、大善寺を氏寺として再興した。理慶尼は信玄の従姉妹で、「武田勝頼滅亡記」、いわゆる「理慶尼記」を記して高野山に納めたという。 毎年10月1日には大善寺の鳥居焼が開かれる。近くには「ぶどうの丘センター」があり、資料館、食堂、宿泊施設が整っている。 | ||||||
![]() 総 門 |