
| 甲州市勝沼町休息1713 tel 0553(44)0462 | |||||||
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| 立正寺はブドウで有名な勝沼にある。清白寺からいったん国道411号線に出て右折し、等々力方面に向かうとすぐ右手の一角にこんもりとした森が見えてくる。この森が立正寺の4000坪にもおよぶ広大な寺域となっている。 寺歴をさかのぼると子安山地蔵寺という奈良仏教三論宗に属し、その後、真言宗に転じて金剛山胎蔵寺(こんごうさんたいぞうじ)となったという。その頃の遺物として総門跡地に「下馬碑」がのこっているが、この碑には文治元年(1185)の年号が記されていて、県内にある金石文としては最古の部類に属するという。 当時、この寺では真言修験が盛んで、関東33ヵ国の頭領として諸方を取りしきっていた。子安千坊と称する多数の塔頭(たっちゅう)があり、また末寺数百があったという。当時をしのぶものとして参道の両側に東之坊、北之坊、上之坊、正覚坊などが今も残っている。また仁王門の扁額は水戸黄門(光圀)の書といわれる。 | |||||||
![]() 毎年11月23、24日に開かれる子安地蔵尊大祭 | |||||||
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立正寺が日蓮宗に転宗したのは文永・建治(1264〜1275)の間といわれる。当時、日蓮が勝沼に投宿(文永6年といわれる)、同寺の門前で立正安国論を講じたとき、住持の宥範(ゆうはん)と法論を交わしたことに始まる。宥範は日蓮に心服し、法華の門に投ずることになった。 この地は日蓮が休んだことにちなんで休息と呼ばれ、また寺名も立正安国論を講じたことから立正寺となった。その後、同寺は「小身延」「東身延」などと称されるほど繁栄したが、他の寺と同様に武田氏滅亡のおり、兵火を蒙って七堂伽藍のことごとくを失った。江戸期に入り、徳川家から寺門再興のため寺領の寄進を受け、また田安家の庇護で寛文年間(1661〜72)には11間四方の祖師堂などを建立、東身延の威容を回復した。境内は深い木々の中にあり、森はヒイラギの群生地としても有名だ。 寺宝としては日蓮上人真筆の曼荼羅をはじめ、修験道場であった頃の「笈(おい)」、徳川家からの各種御朱印、田安家の駕籠など多数所蔵されている。一般には公開されない。 | |||||||
![]() 仁王門 | |||||||