
| 山梨市下井尻673 tel 0553(22)1308 | |||||
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| 雲光寺へ行くには、向嶽寺(第12番)前の小道を西へ1kmほど進む。そこは山梨市下井尻の集落で、そのはずれ、平坦な果樹園地帯の一角に同寺を見い出すことができる。 同寺は、保元3年(1158)に甲斐源氏安田遠江(とうとうみ)守義定が開基し、真言の僧都了寿阿闍梨(あじゃり)を開山として創建された。応永2年(1395)に夢窓国師の高弟・絶海中津和尚によって真言宗から禅宗となった。安田義定をはじめ一族の墓があることで有名である。 | |||||
![]() 庫裏とイチョウの木 | |||||
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安田義定は源九郎義経(よしつね)の副将として平家追討の際に多くの戦功をあげ、鎌倉幕府創立の功績者であった。しかしその後、義経が追討されたのと同じ道すじをたどり、安田の勢力の伸張を恐れた源 頼朝(みなもとのよりとも)によって滅ぼされた。義定の嫡子義資が鎌倉で殺害されたのは建久4年(1193)で、その翌年義定も鎌倉方に討たれている。嫡子義資の遺品は雲光寺に葬られたといわれ、翌年の建久5年には、義定と三郎義季の遺骨を最期の地・牧丘からこの地に移し、埋葬したと伝えられている。 安田一族の墓は寺の前、寿仏庵跡にあり、長方形の生け垣の中に並ぶ。2mもある五輪塔が3基、いずれも鎌倉中期の石造美術として貴重なものであるため、県の文化財に指定されている。3基のうち中央のものが義定、両脇にあるのが子息の義資と義季の塔と伝えられている。このほか中型の五輪塔が3基、ほかに小五輪塔が30基ほど並んでいて、左の端に宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。これは貞治2年(1363)に甲斐の守護・武田信成が義定供養のために建てたもの。 |