
| 甲州市塩山上於曽2026 tel 0553(33)2039 | |||||
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| 雲峰寺から塩山駅に向かってまっすぐ南下すると、駅の北にどっしりと腰を据えたような小山が塩ノ山。この南麓に臨済宗向嶽寺派本山の向嶽寺がある。塩ノ山は周囲4kmあまりで、古代の墳墓を大きくしたような形がおもしろく、山梨市の差出(さしで)の磯と相対で古くから歌に詠まれ、歌枕になっている。 寺域は木立におおわれた外門、築地塀を巡らせた中門、小さな橋を渡った向こうには仏殿(後側に開山堂を組合せた珍しいもの)、さらに塀の内側に方丈と書院などの建物が一直線上に並ぶ。また右手には庫裏、禅堂、鐘楼などがある。重要文化財の中門は四脚門・切妻造檜皮(ひわだ)葺で室町時代中期のものである。 また築地塀は小石を混ぜた土に強化のため塩を混入してあるといわれ、「塩築地」と称されている。県指定文化財。 方丈と書院の裏手には塩ノ山の南斜面を使った国の名勝の豪壮な庭園がある。作者は不明だが、一面の芝生の広い斜面の中に高さ2mを超す「三尊石」をはじめ巨岩が据えられた美しいもので、方丈からの眺めを主目的に造られている。 | |||||
![]() 本堂裏の庭園 | |||||
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寺歴では、抜隊(ばっすい)禅師が永和4年(1378)、ここより北の竹森に草庵を結んだのに始まる。やがて抜隊を慕って大勢の人が集まるようになり、時の領主・武田信成によって里に近い現在の地が寄進され、新たな草庵が建てられた。ここから南を望むと御坂山塊の上に白雪の富嶽(富士山)が見える。そこから向嶽庵と名づけられ、寺号はつけなかった。ここが「向嶽寺」となるのは約170年のちに武田信玄がこの寺を外護し、朝廷から抜隊禅師に「恵光大円禅師」の諡号(しごう)を賜って寺格が定められた時からである。 康暦3年(1381)、仏殿と僧堂が建てられ、信成から釈迦如来座像が寄進されて庵はしだいに形が整えられた。抜隊禅師は多くの庶民を導いたが、禅師が泥まみれになって僧俗を教導した言葉が漢字仮名まじりの「塩山和泥合水集」や「塩山仮名法語」として残され、これらの版木は寺に現存する。その後、寺はたび重なる火災にあったが多くの寺宝類は被災を免れ、国宝絹本著色達磨図(上野・国立博物館蔵)をはじめ、絵画・古文書の類など多数、残されている。ただし拝観はできない。 | |||||
![]() 中門と築地塀 |