山梨市牧丘町西保下3631 tel 0553(35)2568
宗派 曹洞宗
本尊 薬師如来
県指定文化財・薬師如来像
山梨市役所牧丘支所から車で10分/ 「城下」バス停から徒歩15分
拝観料 志納
駐車場あり
 洞雲寺から鼓川沿いの道を塩山方向に5kmほど下ると西保下の集落を山側に入るフルーツラインがある。この道を500mほど行くと左手の山の高みに普門寺の赤い屋根が見える。
 寺へは道から約160段の急な石段があるが、小さな車なら少し先の狭い急坂を登り境内まで行ける。寺域は急峻な斜面を削り取ったような地形に本堂・庫裏と薬師如来(県指定文化財)を収めた八面の宝蔵が建てられている。境内から見渡す景色は正面はるか下に鼓川、その向こうに鎌倉間道と呼ばれた野背坂道が通る低い山並みがあり、さらに遠く御坂山塊と富士を望むことができる。また左には大菩薩連峰が壁のように続いている。
 寺の由緒は、近くに堂庵という所があり、かつて行基が病に苦しんでいた人々を救うため薬師如来を刻んで堂に収めたことにはじまる。後に安田義定がこの地に本尊を移して祈願寺としたのがこの寺だという。はじめ真言宗だったが、明暦(1655〜1657)のころ永昌院(第4番)の撫天和尚を迎えて曹洞宗となった。


薬師如来座像
 義定は甲斐源氏の祖・新羅三郎義光の孫で、長承3年(1134)、若神子(今の須玉町)で生まれた。成人して峡東地方に入り、今の山梨市小原に館を構えてこの地を統治した。先の野背坂は山梨市からこの地に至る間道で、義定は普門寺の西の山頂(小田野山)に山城を築く。治承4年(1180)、平家追討に挙兵して大いに手柄を立てた義定だが、その後、頼朝の勘気を受け、討たれて建久5年(1194)に滅んだ(第5番洞雲寺参照)。
 慶安2年(1648)、寺は火災に遭うが、その時、本尊の薬師如来は地域の人たちに守られたといい、顔にその災難の跡を残している。この薬師如来は33年ごとの御開帳となる秘仏で、その時は甲府の八日町と山梨市の落合に高札が立てられ、大変賑わったという。地域の人たちはこの御開帳に2度巡り会うことを悲願とした。いまは毎年3月に御開帳が行われている。
 また、明治5年から大正にかけて、寺は普門寺学校という寺小屋となり、地域の人々と深いかかわりあいを持ち続けてきた。