山梨市牧丘町北原1117 tel 0553(35)2381
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
県指定天然記念物・八房ウメ/町指定文化財・阿弥陀如来座像
山梨市役所牧丘支所から車で15分/ 「洞雲寺」バス停から徒歩2分
拝観料 志納
駐車場あり
 塩山から北西へ、鼓(つづみ)川沿いに道を6〜7kmさかのぼって行くと最奥が北原の集落だ。洞雲寺はこの集落のはずれ、山裾が大きな段丘を作っている中腹に山門だけを覗かせるように建っている。
 寺歴をたどると、ここから5kmほど川下に甲斐源氏の一族、安田義定が築いた小田野の城があったが、建久5年(1194)、鎌倉方(源頼朝)に攻め滅ぼされた。この時、安田義定の三男で当時16歳であった西保三郎義安もこの地で自刃し、老臣渡瀬志摩守清満(わたせしまのかみきよみつ)が主君の首級(しるし)を背負って山伝いに落ち、小田谷の奥にこれを葬って3年後にささやかな堂庵を建てた。老臣はこの堂庵を浄谷山安養寺と名づけて生涯菩提を弔った。その後この寺は360年間無住であったため朽ち果て、礎石だけとなった。


本堂前のシダレザクラ
 甲斐を領した、豊臣秀吉の武将加藤遠江守光泰(かとうとうみのかみみつやす)が、興因寺(甲府市下積翠寺)の13世抱山光暾(こうどん)和尚を迎えて、安養寺を洞雲寺と改めて開基した。
 加藤光泰はその後、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍し、かの地で病死した。その際、遺品として軍扇、左文字の短刀、遺髪が贈られ、遺髪は甲府の善光寺(第1番)に葬られた。洞雲寺には左文字の短刀が届けられた。境内には寛保2年(1742)に9世住職が開基・光泰の供養碑を建てた。
 境内は正面に本堂、右手に庫裏、庭には観音像、三蔵法師像などがあり、山深い寺の静けさがただよう。本堂前には県天然記念物に指定されているヤツブサウメがある。また庫裏の裏手の切り立った急斜面に石組みを施した珍しい庭があり、三段となって小さな滝が流れ落ちている。