
| 山梨市矢坪0881 tel 0553(22)2179 | ||||||
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| 永昌院は矢坪(やつぼ)の集落の奥まった山あいにある。大蔵経寺からは国道140号線を山梨市方面に5kmほど行き、春日居中学校の先を左に入るフルーツラインを行く。緩やかな丘陵地帯を山すそに沿って行く道で、御坂山系の山並みから甲府盆地東部一帯が見渡せる。案内板に従い左折、坂を登っていくと矢坪の集落だ。 寺院のあるこの山地一帯を地元では永昌院山と呼ぶが、山全体が大きな岩盤で、山容を遠くから望むと竜が体をうねらせているように見えるところから、寺号の龍石山がうまれたという。また一説にはこの寺を開山した一華文英(いっけぶんえい)和尚の背中にうろこ状のものがあったので"竜の生まれ変わり"といわれたことにちなむともいう。 | ||||||
![]() 山門と柿 | ||||||
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永昌院はかつて禅定院という真言宗の寺であったが、文明年間(1469〜87)に武田信昌(信玄の四代前)が一華文英禅師を迎えて曹洞宗の寺として開基した。一華文英は武田信昌の従兄弟に当たり、後柏原天皇から神嶽通龍禅師の号を賜った名僧でもある。その後この寺は甲州・武州にかけて96ヵ寺の末寺を有する甲州曹洞宗常法幢(じょうほうどう)七刹の一つとして栄えた。この末寺96カ寺の大半は雁坂峠を越えて秩父地域一帯にあるが、これは武田が関東へ勢力を伸ばして活躍した時代の情報拠点だったという。また江戸中期までは禅林(僧の修行所)として常時80人ほどの修行僧が住んでいたという。しかし、明治42年の火災で堂塔伽藍のほとんどを焼失してしまった。 総門から石段を登ると正面に本堂、右手に庫裏があり、石段から本堂までは広く美しい庭園となっている。この寺には南北朝時代の永和2年(1376)に作られた県指定文化財の梵鐘があるが、現在は保存のために新しいものに変えられている。 本堂の左から裏山へ登ると信昌の墓があり、今は小堂に囲まれて風雨から守られている。この信昌の墓所にいたる山の小道は「あじさい道」といって、季節には大輪の花が楽しめる。 | ||||||
![]() 鐘 楼 |